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オクタビオ・ドーテル

ドミニカ共和国の野球選手 (1973-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

オクタビオ・エドゥアルド・ドーテル・ディアス(Octavio Eduardo Dotel Diaz, 1973年11月25日 - 2025年4月8日)は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

生年月日 (1973-11-25) 1973年11月25日
没年月日 (2025-04-08) 2025年4月8日(51歳没)
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
概要 基本情報, 国籍 ...
オクタビオ・ドーテル
Octavio Dotel
デトロイト・タイガースでの現役時代
(2012年7月13日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
生年月日 (1973-11-25) 1973年11月25日
没年月日 (2025-04-08) 2025年4月8日(51歳没)
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト外
初出場 1999年6月26日
最終出場 2013年4月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2013年
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概要 獲得メダル, ドミニカ共和国 ...
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MLB13球団でプレーしたジャーニーマン[1]。『ギネス世界記録 2014』には「在籍したメジャーリーグチーム最多数」というギネス世界記録の形で掲載されていた[2]が、2019年にエドウィン・ジャクソンが14球団で更新している。

経歴

プロ入りとメッツ時代

1993年5月20日に、ドラフト外でニューヨーク・メッツに入団。

1999年6月26日にメジャーデビューを果たした。同年は19試合中、14試合に先発登板。防御率は5.38だったが、8勝を挙げた。

アストロズ時代

1999年12月23日にデレク・ベルマイク・ハンプトンとのトレードで、ロジャー・セデーニョカイル・ケッセルと共にヒューストン・アストロズへ移籍した。

2000年は先発として16試合に登板したが、リリーフとしても34試合に登板し、16セーブをマークした。

2001年からは、ほぼリリーフ専業状態となり、105.0イニングで145奪三振を奪う力投を見せた(奪三振率12.43)。

2002年は83試合に登板し、自身初の防御率1.00台をマーク。6勝6セーブをマークし、118奪三振を奪った。

2003年は、2002年ほどではないにしても、リリーフの軸として素晴らしい成績を残した。

2004年クローザーとして32試合に登板し、14セーブをマーク。

アスレチックス時代

2004年7月24日にカルロス・ベルトランとのトレードでジョン・バックと共にカンザスシティ・ロイヤルズに送られるが、その場で直ちにマイク・ウッドマーク・ティーエンとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍し、移籍後も22セーブをマークした。リーグをまたいだ2球団での合計の年間36セーブは結果的にキャリアハイとなった。

2005年も開幕からクローザーの地位を守り続けていたが、肘を故障してしまい、6月に手術を受けた。10月28日にFAとなった。

ヤンキース時代

2006年1月4日にニューヨーク・ヤンキースと契約。8月に復帰した。しかし、復帰直後という事もあり、成績は振るわなかった。10月30日にFAとなった。

ロイヤルズ時代

2006年12月8日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。

2007年はクローザーとしての役割を期待されていた。

ブレーブス時代

2007年7月31日にトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。11月7日にFAとなった。

ホワイトソックス時代

シカゴ・ホワイトソックス時代
(2008年8月8日)

2008年1月22日にシカゴ・ホワイトソックスと2年1100万ドルで契約を結んだ。

2009年11月9日にFAとなった。

パイレーツ時代

2010年1月20日にピッツバーグ・パイレーツと契約。

ドジャース時代

2010年7月31日にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。

ロッキーズ時代

2010年9月18日にコロラド・ロッキーズへトレードで移籍。11月1日にFAとなった。

ブルージェイズ時代

トロント・ブルージェイズ時代
(2011年6月4日)

2011年1月4日にオプション付きの1年契約でトロント・ブルージェイズと契約した。

カージナルス時代

セントルイス・カージナルス時代
(2011年10月30日)

2011年7月27日にブルージェイズ、シカゴ・ホワイトソックスセントルイス・カージナルス間での三角トレードでカージナルスに移籍し、ワールドシリーズ制覇に貢献した。オフの10月31日FAとなった。

タイガース時代

2011年12月7日にデトロイト・タイガースと契約。

2012年4月21日のテキサス・レンジャーズ戦(ダブルヘッダー2戦目)で通算700登板を達成。

2013年開幕前の3月に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ドミニカ共和国代表に選出された[3]

シーズンでは6月8日、右ひじの怪我のため60日間の故障者リスト入りした。10月31日にFAとなった。

2014年10月3日に引退を表明。

選手としての特徴

90~93mph(約145~150km)のストレート、80mph前半(約129km)のスライダー、70mph前半(約113km)のカーブを使いこなす。スライダーは右打者、カーブは左打者に有効に活用された[4]。キャリアを通して奪三振投手として知られ、10シーズンで奪三振率は10を超えた[5]

人物

1993年11月、ニューヨーク・メッツと最初の契約を結んだすぐに、父親のエミリオ・ドーテルが殺された。当時53歳のエミリオは仕事帰りにタクシーに乗って帰ろうとしたところ、強盗に首を絞められ殺害された。遺体は1日後、自宅のサントドミンゴから8km離れたところで発見された。その後、犯人3人は逮捕された[6]

2019年8月、麻薬密売とマネーロンダリングに関する容疑で逮捕され、ルイス・カスティーヨも罪に関する容疑で出頭を命じられた[7][8][9]。同年末、マネーロンダリングに関する容疑は両者晴れたものの、ドーテルに関しては違法な武器を所持していたとして別件起訴されている[10]

2025年4月8日、サントドミンゴのジェット・セットナイトクラブ天井崩落事故に巻き込まれて、瓦礫の中から救出されたが病院で死去した。51歳没[11]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1999 NYM 19140008300.72736885.169124916853252515.381.38
2000 HOU 501600037160.300563125.01272661371426080755.401.50
2001 61400075212.583438105.079547221454035312.661.20
2002 83000064631.60037697.158727241182021201.850.87
2003 76000064433.60034687.05393123972025242.480.97
2004 32000004140.00014634.22741541503115123.121.21
OAK 45000062220.75021050.24191833721023234.091.16
'04計 77000066360.50035685.3681333741224138353.691.18
2005 1500001270.3336515.110211201610663.521.37
2006 NYY 1400000001----5910.01821110730131210.802.90
2007 KC 24000021110.66710823.02431144292011103.911.52
ATL 900000001----307.2511001200544.700.78
'07計 33000021111.66713830.22941244412016144.111.34
2008 CWS 72000044121.50028867.052122935924034283.761.21
2009 62000033016.50026862.15473610754126233.321.44
2010 PIT 41000022210.50017340.03551723482021194.281.30
LAD 1900001113.5007818.211311302130773.381.18
COL 800000101.000285.161400630435.061.88
'10計 68000034224.42927964.05293253758032294.081.31
2011 TOR 3600002114.66712229.12051222300013123.681.09
STL 2900003325.5009624.216150032101093.280.85
'11計 6500005439.55621854.03661722621023213.500.98
2012 DET 57000053111.62523458.05031241622023233.571.07
2013 600000000----284.21004004007713.503.00
MLB:15年 758340005950109139.5414024951.0765117412394111434644313993.781.24
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...


投手(P)












1999 NYM 198910.944
2000 HOU 5041411.947
2001 6191423.920
2002 8308001.000
2003 7606001.000
2004 3240001.000
OAK 4525011.000
'04計 7765011.000
2005 150110.500
2006 NYY 1402001.000
2007 KC 2411001.000
ATL 90000----
'07計 3311001.000
2008 CWS 723410.875
2009 622310.833
2010 PIT 413410.875
LAD 1920001.000
COL 80000----
'10計 6854011.000
2011 TOR 3601001.000
STL 294010.800
'11計 654110.833
2012 DET 571410.833
2013 601001.000
MLB 7584377105.923
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記録

  • 13球団でプレー(MLB歴代2位)[1]

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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