オヨムブ
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生涯
オヨムブは、閩浙総督を務めた カルギシャンの孫で、筆帖式出身であった。三度の昇進を経て工部給事中となった。嘉慶元年(1796年)、陝西漢中府知府に任じられた。嘉慶帝は、オヨムブがカルギシャンの孫として家風をよく受け継いでいると評価し、ただちに甘粛西寧道へ昇進させ、さらに江蘇布政使および安徽巡撫代理に任命した。その後、秋審案件において彼が執行猶予相当と判断した事案の多くが刑部によって実刑相当へ変更されたため、嘉慶帝はその寛大すぎる判断を非難し、吏部に降格を議させたが、最終的には留任となった。その後、貴州巡撫に昇進したが、高齢を理由に召還命令を受けると直ちに帰途についた。これを聞いた嘉慶帝は不快感を示し、吏部に審議させた結果、官職を剥奪したうえで筆帖式に任じ、藍翎侍衛を賜り、葉爾羌弁事大臣に任命した。しかし、ほどなく病没した[1]。