オルガ・フィアルカ
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オルガ・フィアルカ | |
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| Olga Fialka | |
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カーロイ・フェレンツィによる肖像画 (1892) | |
| 生誕 |
1848年4月19日 現チェコ、テレジーン |
| 死没 |
1930年12月176日(82歳没) 現ルーマニア、バヤ・マレ |

オルガ・フィアルカ(Olga Fialka、1848年4月19日 - 1930年12月17日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の画家である。ハンガリー人画家カーロイ・フェレンツィ(1862- 1917)と結婚した。
現チェコ北部ウースチー州のテレジーンで生まれた。父親のモリック・フィアルカ(Moric Fialka:1809–1869)はオーストリア軍の軍人で貴族の称号を得て[1]、退役時にはクラクフに勤務した。文学を愛する家庭で育った。クラクフでヤン・マテイコに学んだ後、ウィーン美術アカデミーでアウグスト・アイゼンメンゲルに絵画を学んだ[2]。
ドイツの出版社からおとぎ話の本などの挿絵の依頼を受けるようになり、展覧会にも作品を出展した。
14歳年下のカーロイ・フェレンツィは母方のいとこであり、ミュンヘンなどで絵を学んでいた。1884年頃にフェレンツィとイタリアへ留学し、ナポリ美術アカデミーで学び、帰国した後、結婚した。1885年に最初の息子が生まれた後、家事を優先して絵を描くことをあきらめた。家族は1889年から現ハンガリー、ペシュト県のセンテンドレで暮らし、1893年からはミュンヘンに住んだ。1896年に現ルーマニア、マラムレシュ県のバヤ・マレ(ナギバニャ)の芸術家村に住んだ。1917年に夫が亡くなった後も、オルガと娘のノエミはナギバニャに住み続け、1918年にルーマニアの国籍を得た。
1930年にナギバニャで亡くなった。息子のヴァレール・フェレンツィ(Valér Ferenczy: 1885-1954)は版画家になり、ヴェニ・フェレンツィ(Béni Ferenczy: 1890-1967)は彫刻家になった。
1951年に、結婚後夫妻が暮らしたハンガリー、センテンドレの家は保存され美術館(Károly-Ferenczy-Museum)が設立され、夫の作品に加えて、オルガと3人の子供たちの作品も展示されている。