オレリ川の戦い
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経緯
キエフ大公スヴャトスラフとその同盟者であるリューリクは、キエフ公国軍、ペレヤスラヴリ公国軍、ヴォルィーニ公国軍(ルーツク公が参戦)、トゥーロフ公国軍(ピンスク公、ドゥブロヴィツァ公、ペレソプニツァ公が参戦)、ガーリチ公国軍(ガーリチ公ヤロスラフが軍を派遣)、チョールヌィ・クロブキ軍等からなる軍勢を率いて出撃した。ドニエプル川下流域を目指すスヴャトスラフに対し、スヴャトスラフの属するチェルニゴフ・オレグ家(ru)の諸公(チェルニゴフ公ヤロスラフ:スヴャトスラフ弟、ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリ、トルブチェフスク公フセヴォロドら[3])は自領防衛を名目に出兵せず、ペレヤスラヴリ近郊(ドニエプル川中流域)であれば、スーラ川まで兵を出すと提案した。スヴャトスラフはこの提案を受けず、ドニエプル川を南下した。スヴャトスラフはオレリ川河口付近(場所は推定)で渡河し、陣を張った[4]。前衛にはペレヤスラヴリ公ウラジーミル、スヴャトスラフの子グレプ・ムスチスラフ兄弟、リューリクの甥ムスチスラフらが配された[5]。ルーシ軍の進軍をみたポロヴェツ軍は一時撤退し、ルーシ軍とコビャーク率いるポロヴェツ軍はオレリ川をはさんでしばらく射撃戦を行った[6]。しかしスヴャトスラフ、リューリクが援軍を向かわせるとポロヴェツ軍は撤退した。ルーシ軍はこれを追撃し、大きな戦果を挙げた。コビャークをはじめポロヴェツの長の多くが捕縛され、あるいは殺害された[4]。