サリニツァ川の戦い
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| サリニツァ川の戦い | |||||||
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サリニツァ川の戦いのミニアチュール(ラジヴィウ年代記) | |||||||
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| 衝突した勢力 | |||||||
| キエフ大公国 | ポロヴェツ族 | ||||||
| 指揮官 | |||||||
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スヴャトポルク ダヴィド ウラジーミル | 不明 | ||||||
| 戦力 | |||||||
| 約3万人[1] | 不明 | ||||||
| 被害者数 | |||||||
| 不明 | 不明 | ||||||
サリニツァ川の戦い(ロシア語: Битва при Салнице)は、キエフ・ルーシの諸公が行ったポロヴェツ族への遠征の過程において、最終的な決戦となった戦闘である。戦闘は1111年の3月27日にサリニツァ川河畔で行われ[2]、キエフ大公スヴャトポルク、チェルニゴフ公ダヴィド、ペレヤスラヴリ公ウラジーミル率いるルーシ諸公軍が、ポロヴェツ族軍を大破した。
遠征
1111年2月26日、ルーシ諸公連合軍(キエフ大公スヴャトポルク、チェルニゴフ公ダヴィド、ペレヤスラヴリ公ウラジーミルが、それぞれの子達を連れて参加した)は、十字架を携えた司祭に聖歌を歌わせながら、シャルカニへ向けて軍を発した。研究者の説の中には、これを十字軍的な性質を帯びた遠征であったと述べるものがある[3][4]。ルーシの軍勢はドロブスク湖(ru)に終結し、スーラ川、ホロール川、プショール川を越え、ドネツ川河畔へと至った。
五日間の包囲ののち、シャルカニは戦わずして降伏した。一方スグロフには焼き討ちを掛けた[5]。なお、シャルカニ、スグロフは共にポロヴェツ族のハンの名から名づけられた都市である(シャルカニはシャルカン[6]、スグロフは1107年のスーラ川の戦いで捕虜となったスグルの名に拠る[5])。