オヴィド・ヤンセス
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ブルゴーニュのディジョンで肉屋の末子に生まれた。両親によって司祭になるために神学校に送られ、1879年に父親の亡くなった後、コート=ドール県の教区司祭に芸術的才能を見出されてディジョン国立高等美術学校で学ぶことになった[1]。美術学校では彫刻家のアンリ・ブシャール(1875-1960)と友人になり、画家のマリー・シャピュイ(Marie Chapuis)と知り合った。1891年にパリに移り、パリ国立高等美術学校で彫刻家のガブリエル=ジュール・トマ(Gabriel-Jules Thomas)やフェルディナン・ルヴィラン(Ferdinand Levillain)に学び、特にメダル制作を専門とするユーベル・ポンスカルムの指導と助言により、メダル彫刻の分野に進んだ。1893年と1896年のローマ賞のコンクールに2度参加するが、入選できなかった。1896年にマリー・シャピュイと結婚した。
肖像メダルや印象派の画家が題材にしたような作業する労働者や農民を題材にしたメダルを制作し、有名な批評家クロード・ロジェ=マルクス(Claude Roger-Marx)などから評価された[2]。1900年のパリ万国博覧会では金メダルを受賞し、1900年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。
1906年のミラノ装飾美術展や1910年のブリュッセル万国博覧会などの国際的なイベントのためのレリーフも制作した。
1906年に故郷のディジョンに移った。第一次世界大戦の後、メダルへの世間の関心が薄れ十分な収入が得られなくなった。1919年に彫刻家マックス・ブロンダMax Blondat: 1872-1925)の後任としてディジョン国立高等美術学校の校長に就任し、1934年までその仕事を続け、彫刻家ピエール・ヴィグルー(Pierre Vigoureux)がヤンセスの後任になった。
1947年にディジョンで亡くなった。息子のユベール・ヤンセス(Hubert Yencesse: 1900-1987)は彫刻家として知られている[3]。