オーブリー・ド・ヴィアー (第2代オックスフォード伯)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| オーブリー・ド・ヴィアー Aubrey de Vere | |
|---|---|
| 第2代オックスフォード伯 | |
|
オックスフォード伯の居城ヘディンガム城 | |
| 在位 | 1194年 - 1214年 |
| 出生 |
1163年ごろ |
| 死去 |
1214年 |
| 埋葬 |
|
| 配偶者 | イザベル・ド・ボールベック |
| アリス(・ビゴッド?) | |
| 家名 | ド・ヴィアー家 |
| 父親 | 初代オックスフォード伯オーブリー・ド・ヴィアー |
| 母親 | アグネス・オブ・エセックス |
第2代オックスフォード伯オーブリー・ド・ヴィアー(Aubrey de Vere, 2nd Earl of Oxford, 1163年ごろ - 1214年)は、世襲のイングランド大侍従卿[1]。イングランド王リチャード1世とジョン王の治世下で軍事作戦に従事した。伯位は弟のロバート・ド・ヴィアーに継承された。
オーブリーは初代オックスフォード伯オーブリー・ド・ヴィアーと3番目の妻であるレイリー領主ヘンリー・オブ・エセックスの娘アグネス・オブ・エセックスとの間に長男として、1163年以降に生まれた[1]。ラルフ、ロバート、ヘンリーの3人の兄弟とアリスという妹がいる。次弟ラルフはオーブリーより先に亡くなり、三弟ロバートが1214年に第3代オックスフォード伯として跡を継いだ[2]。オーブリーに関する最初の記録は、幼い頃に父がコルン修道院の特許状に署名した時のことである[1]。
1194年、オーブリーはリチャード1世と共にフランスに滞在し、同年12月26日に父が崩御したことに伴い伯位を継承した[1]。1195年、オーブリーは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に捕らえられていたリチャード1世の身代金として500マルクを支払うよう命じられた[3]。
1197年、オーブリーは再びノルマンディーにおいてリチャード1世の側につき[3]、ベリー・セント・エドマンズのサムソン修道院長と、オックスフォード伯を含む修道院の50人ほどの借地人との間で紛争が起こった。最終的に、借地人の大半はロンドンの王宮に訴え、修道院が一定の封建的援助を受ける権利を認めた。最後まで抵抗を続けていたオーブリーは、修道院長がオーブリーの耕作用の動物を押収・売却したため、ついに降伏した[4]。
1204年、オーブリーはオックスフォードシャーの「三分の一収入権」と「オックスフォード伯爵の称号を得るため」に200マークを支払った[3]。これは、内戦の最中、1141年7月に皇后マティルダから父に与えられた爵位の追認であった[5]。この爵位は既にマティルダの息子ヘンリー2世によって父オーブリーに追認されており、オーブリーはリチャード1世とジョンによってオックスフォード伯として認められていた。したがって、ジョンが王位に就いてから5年後にこのような支払いが行われたことは異例である。
1208年3月、教皇インノケンティウス3世はイングランドに秘蹟執行禁止命令を発布した[6]。禁止命令発布当時、オックスフォード伯は国王の「悪徳顧問」の一人とみなされていたと言われている[3]。1209年夏、オーブリーはジョン王の破門を阻止しようとドーバーで教皇の代理人と会見した廷臣の一人であった。彼らの任務は失敗に終わった。インノケンティウス3世は同年11月にジョン王を破門した[6]。
オックスフォード伯は、おそらく最後の軍務として、1210年6月から8月にかけて9週間続いたアイルランド遠征で、ジョン王の軍に随伴した[3][6]。
オックスフォード伯は、1208年にはヘイヴァリング荘園の守備、1208年から1213年まではエセックスとハートフォードシャーの長官、1213年にはエセックスの森林管理官などを務めた。1213年6月20日には、国王の猟犬の管理も任された[3]。
オックスフォード伯は1214年10月かそれ以前に亡くなり、コルン修道院に埋葬された[3]。跡を継いだのは、弟で第3代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアーであった。ロバートは後にマグナ・カルタの保証人の一人となった[7]。
結婚と子女
オーブリーは二度結婚した。最初の妻は女子相続人のイザベル・ド・ボールベックで[注釈 1]、父オーブリーが金銭を支払って1184年に結婚の権利を手に入れた[8]。イザベルは1206年か1207年に亡くなった[9]。
二度目の妻アリスは、第2代ノーフォーク伯ロジャー・ビゴッドの娘で、オーブリーの又従妹にあたると言われている[9]。オーブリーの死後、弟で後継者の第3代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアは、アリスの持参金をくじ引きで定め、アリスが引いた1騎士分の料金につき2騎士分の料金を引いた[9]。アリスは再婚せず、夫の死から数十年後に亡くなった。どちらの妻との間にも子供はいなかった。
ただ、庶子としてロジャー・ド・ヴィアーがおり、オーブリーは認知し、養育していたようである。ロジャーは1221年に十字軍遠征中にダミエッタで亡くなった[9]。