カハ・カラーゼ
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| カハ・カラーゼ Kakha Kaladze კახა კალაძე | |
|---|---|
| 生年月日 | 1978年2月27日(47歳) |
| 出生地 |
サムトレディア |
| 出身校 | トビリシ国立大学 |
| 前職 | サッカー選手 |
| 所属政党 | ジョージアの夢=民主ジョージア(2012年 - 現在) |
| サイン |
|
| 在任期間 | 2012年10月25日 - 2017年7月12日 |
| 大統領 |
ミヘイル・サアカシュヴィリ ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ |
| 在任期間 | 2012年10月25日 - 2017年7月12日 |
| 大統領 |
ミヘイル・サアカシュヴィリ ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ |
| 在任期間 | 2017年11月13日 - |
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|---|---|---|---|---|---|---|
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| 名前 | ||||||
| 本名 | カハベル・カラーゼ | |||||
| 愛称 | カラ | |||||
| ラテン文字 | Kakha Kaladze | |||||
| ジョージア語 | კახაბერ კალაძე | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1978年2月27日(47歳) | |||||
| 出身地 |
サムトレディア | |||||
| 身長 | 186cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF(CB, LSB) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1993-1998 |
| 82 | (1) | |||
| 1998-2001 |
| 71 | (6) | |||
| 1998-2000 |
→ | 9 | (1) | |||
| 2001-2010 |
| 194 | (12) | |||
| 2010-2012 |
| 53 | (1) | |||
| 通算 | 409 | (21) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1993-1994 |
| 2 | (0) | |||
| 1995 |
| 4 | (0) | |||
| 1995-1996 |
| 3 | (0) | |||
| 1996-2011 |
| 83 | (1) | |||
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カハベル・カラーゼ(Kakhaber "Kakha" Kaladze、კახაბერ კალაძე、1978年2月27日 - )は、ジョージア・サムトレディア出身の元サッカー選手。元ジョージア代表。ポジションはディフェンダー。現政治家。2017年からトビリシ市長を務めている。
サッカー選手として
11歳の時に父カルロのチームLokomotiv Samtrediaに入団。当初のポジションはFWだった。1993年に独立したばかりのグルジアのFCディナモ・トビリシに入団、1994年にプロデビュー。次第に頭角を現し、1997年にウクライナのディナモ・キエフへ移籍。アンドレイ・シェフチェンコらとともにUEFAチャンピオンズリーグでの上位進出に貢献した。ディナモ・トビリシ、ディナモ・キエフ在籍中は全てリーグ優勝。
その後、2001年1月10日にジョージア国籍をもつ選手としては初めてセリエA・ACミランへ移籍。2003-04シーズンのスクデット獲得のほか、2度のUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)優勝にクラブワールドカップ制覇など数々のタイトルを獲得した[1]。
ディナモ・キエフ在籍時の2001年1月に「2002 FIFAワールドカップ」の日韓共催を記念して決勝戦の舞台・横浜で開催されたアクセンチュアドリームサッカーに出場(登録名 カラッツェ)。しかしACミランの一員として2007年のクラブワールドカップで来日した際のインタビューでは失念したのか「日本に来るのは初めて」とコメントしていた。
祖国ジョージアでは最優秀選手賞を5回受賞。同国では最高記録である。
2008年12月2日にジョージア人モデルAnuka Areshidze(Anuki)とミラノで結婚。
ジョージア代表には1996年3月27日の親善試合・キプロス戦でデビューし、11年後の2007年2月6日のラトビア戦で代表初ゴールを記録。50試合でのキャプテンを務めた。2009年9月5日のイタリア戦では、自身の2つのオウンゴールにより2-0で敗北するという失態を犯した。2011年12月12日に代表引退を表明した。
政治家として
サッカー選手引退後は母国ジョージアで政治家に転身し[2]、議会選挙に小選挙区より当選。所属政党「ジョージアの夢」も同選挙で勝利し、同年10月8日、次期首相就任が確実なビジナ・イヴァニシヴィリ党首より次期内閣における副首相に指名された[3]。また、2017年10月には、トビリシ市長選に当選したことも報じられた[4]。