カムチュベク・タシーエフ From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 (1968-09-27) 1968年9月27日出生地 ソビエト連邦 キルギス・ソビエト社会主義共和国スザク地区出身校 トムスク大学所属政党 アタ・ジュルト党カムチュベク・タシーエフКамчыбек Ташиев生年月日 (1968-09-27) 1968年9月27日出生地 ソビエト連邦 キルギス・ソビエト社会主義共和国スザク地区出身校 トムスク大学所属政党 アタ・ジュルト党 キルギス非常事態相在任期間 2007年 - 2009年大統領 クルマンベク・バキエフテンプレートを表示 カムチュベク・タシーエフ(キルギス語: Камчыбек Ташиев、カムチベク・タシーエフとも、1968年 -生まれました )は、キルギスの政治家。アタ・ジュルト党党首。 2005年から2010年まで同国大統領であったクルマンベク・バキエフに近く、バキエフ政権では非常事態相を務めた[1]。2010年キルギス騒乱でバキエフが失脚した後は自身の基盤であるキルギス南部に依ってローザ・オトゥンバエヴァの暫定政権に抵抗。同年6月に同国南部のオシで起きたキルギス人とウズベク人の民族衝突についての捜査を妨害した[2]。 その後は新たにアタ・ジュルト党を結成し、同年10月の国会総選挙では僅差で第一党となった。しかし翌年のキルギス大統領選挙ではキルギス社会民主党のアルマズベク・アタンバエフに敗れた。2012年には首都ビシケクで反政府デモを起こした事が当局に「暴力革命を企図した」とみなされ、逮捕されている[3]。 人物 2010年の政変後にキルギス大統領の権限が大幅に削減された事に反対しており、大統領権限を復活させるべきと主張している[4]。 元バキエフ派であったが、バキエフ自身の復権については否定し、むしろ彼の訴追を主張した。但しバキエフが持っていた諸利権はアタ・ジュルト党メンバーの中で山分けにされたともいわれる[5]。 タシーエフ自身はキルギス南部で麻薬密輸の利権に関わり、私兵も持っているともいわれる[6]。 脚注 ↑ 浜野道博『検証キルギス政変天山小国の挑戦』東洋書店、2011年、175頁 ↑ 浜野160頁 ↑ “Opposition risks Kyrgyzstan’s stability in protests” The Washington Times, 2012年10月12日 ↑ 時論公論 「キルギス大統領選挙・民主化は根付くか」NHK, The Washington Times, 2012年10月12日 ↑ 浜野187頁 ↑ ユーラシア情報ネットワーク「ユーラシア情勢(2011年8~10月)3:中央アジア情勢」(東京財団) Related Articles