カリフォルニア・ゴールデンシールズ
かつて存在したアメリカ合衆国のアイスホッケーチーム
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カリフォルニア・ゴールデンシールズ (英語: California Golden Seals) は、かつて存在したNHLチームとしてアメリカ合衆国のサンフランシスコ・ベイエリアを初めて本拠地としたプロアイスホッケーチームである。エクスパンション・シックスの1つ。ここでは後継チームであるクリーブランド・バロンズ (英語: Cleveland Barons) についても概説する。
| カリフォルニア・ゴールデンシールズ California Golden Seals | |
| カンファレンス | |
| ディビジョン | ウェスト・ディビジョン (1967-1974年) アダムス・ディビジョン (1974-1976年) |
| 創設年 | 1961年 |
| 歴代チーム名 | サンフランシスコ・シールズ 1961–1966年 (WHL) カリフォルニア・シールズ 1966–67年 (WHL) オークランド・シールズ 1967–1970年 (NHL) ベイエリア・シールズ 1970年 (NHL) カリフォルニア・ゴールデンシールズ 1970–1976年 (NHL) クリーブランド・バロンズ 1976–1978年 (NHL) |
| ホームアリーナ | オークランド・アリーナ |
| ホームタウン | カリフォルニア州オークランド |
| チームカラー | ケリーグリーン, ロイヤルブルー, 白 (1967–1970) ケリーグリーン, カリフォルニアゴールド, スノーホワイト (1970–1974) パシフィックティール, 金, 白 (1974–1976) |
| メディア | |
| オーナー | |
| GM | |
| ヘッドコーチ | |
| キャプテン | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| スタンレーカップ優勝 (0回) | |
| アブコワールド (0回) | |
| カンファレンス優勝 (0回) | |
| ディビジョン優勝 (0回) | |
| プレジデンツトロフィー | |


フランチャイズの歴史
カリフォルニア・ゴールデンシールズ
1960年代初頭に、1952年創設のマイナープロリーグであるWHLがサンフランシスコとロサンゼルスにチームを配置することを決めた。新しいベイエリアのチームはサンフランシスコ・シールズ (WHL)と名付けられ、クラブはWHLの他の多くのフランチャイズよりもかなり多い1試合あたり平均5,558人の観客を初年度に集め、潜在的な市場の可能性を示し、以降チームは2度のリーグチャンピオンに輝いた。1965–66シーズン中にチームはバリー・ヴァン・ガービッグとその投資家グループに買収されたが、新オーナーは老朽化したカウ・パレイスに代わる新しいアリーナを建設できず、オークランドに最新鋭のリンクを建設してカリフォルニア・シールズ (英: California Seals) と名称を変更し、WHLでの最終シーズンを戦った。
1967年のエクスパンション・ドラフトでシールズは、ヴェジーナ賞ゴールテンダーのチャーリー・ホッジ、ディフェンスのボビー・バウンと1963年カルダー記念賞受賞者のケント・ダグラス、そしてフォワードのビル・ヒッケとビリー・ハリスなど、スタンレーカップを獲得した複数の選手を指名したものの初年度の成績は伸びず、1968年1月13日にはビル・マスタートンのNHL初そして唯一の試合での怪我が直接の原因となった死亡事故の不名誉な加害者となってしまう。
また長年のサンフランシスコのファンがゴールデンゲートブリッジを越えてシールズの試合を観戦しに来ることは多くはなく、観客数は減少し始めた。地元ファンを呼び込むために、わずか25試合でチーム名はオークランド・シールズ (英: Oakland Seals) に変更されたが、なお最下位の観客動員数は以降のシーズンごとに繰り返された。
翌シーズン、2度のオーナー変更の混乱の中、テッド・ハンプソンは75ポイント、ヒッケは61ポイントを記録し、ともにNHLオールスターゲームに出場した。ノーム・ファーガソンの34ゴールを初め20ゴール以上が6人のシーズンをディビジョン2位で終え、プレーオフ1回戦は7試合までもつれ込んだが、決定的な試合でロサンゼルス・キングスが勝利した。[1]
翌1969-70シーズンは前年度を超える成績の期待が高まったが、スタートからつまずき、シーズンの大半を低調に過ごした。レギュラーシーズンでわずか58ポイントしか獲得できなかったにもかかわらずプレーオフ進出を果たすと、第1ラウンドでピッツバーグ・ペンギンズにスイープを喫した。観客動員数は目覚ましい増加を遂げ、キャプテンのハンプソンは拡張チーム最高の成績を収めたチームを代表してビル・マスタートン記念賞を受賞した。
チャールズ・O・フィンリーがチームを買収すると、緑と黄色または白のスケート靴、黄色のユニフォーム、生きたアザラシをマスコットにするなど、多くの突飛なアイデアが持ち込まれた。シーズン開始時のベイエリア・シールズ (英: Bay Area Seals) の名称は、2試合後にカリフォルニア・ゴールデンシールズと再変更されるも、フィンリーの仕掛けは興行的な盛り上がりを生むことはできず、チームはその後も苦戦した。
1970-71シーズンをリーグ最下位で終え、その年のアマチュアドラフトで全体1位指名権を獲得したが、前年の夏にシールズは1971年の1巡目指名権とフランソワ・ラコンブをモントリオール・カナディアンズにトレードし、その代わりにアーニー・ヒッケとカナディアンズの1970年の1巡目指名権を得ていたため、1971年ドラフトの大目玉であるギイ・ラフレールを獲得するチャンスを失っていた。これは、カナディアンズGMサム・ポロックの意図的な戦術であったとされる。
1972年にWHAが登場すると、7人のレギュラー選手が新設リーグに移籍し、チームの発展はさらに遅れた。ジョーイ・ジョンストン、レジー・リーチ、クレイグ・パトリック、ヒリアード・グレイブスといった4人の20ゴールシーズンにもかかわらず、ディフェンス陣が主にマイナーリーガーやルーキーで構成されていたゴールデンシールズが成果をあげることは困難だった。
1974–75シーズン、フィンリーがクラブをNHLに658万5千ドルで売却すると、鮮やかな黄色と緑のユニフォームはパシフィックブルーとカリフォルニアゴールドに置き換えられた。ベテランを有望株とディフェンスの補強と引き換えにトレードし、チームはアル・マカダム、チャーリー・シマー、デイブ・フレッコシー、ラリー・ペイティといった新人と、シールズのディフェンスマン歴代最多得点者となるリック・ハンプトン、ジル・メロッシュとゲイリー"コブラ"シモンズのゴーリーで構成された。
翌シーズンにメル・スウィグがクラブを買収し、勢いをようやく取り戻したチームはシーズンの大半でプレーオフ進出を争い、アル・マクアダム、デニス・マルク、ボブ・マードックで構成される「3-Mライン」は数々のクラブ記録を樹立した。1月にシールズは7勝1敗1分の好成績を残したが、例年のごとくシーズン後半は期待外れとなった。
12,089席のコロシアムはNHLリンクとして小規模で、新アリーナ建設計画は頓挫したため、チームはクリーブランドに移転せざるを得ず、1976年7月14日にカリフォルニア・ゴールデンシールズは消滅した。
シーズンごとの成績
注: GP = 試合数, W = 勝, L = 敗, T = 引分, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点, PIM = ペナルティ分数
WHL
| WHLシーズン | GP | W | L | T | Pts | GF | GA | プレーオフ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1961–62 | 70 | 29 | 39 | 2 | 60 | 229 | 270 | 第1ラウンド敗退 |
| 1962–63 | 70 | 44 | 25 | 1 | 89 | 288 | 219 | 優勝 |
| 1963–64 | 70 | 32 | 35 | 3 | 67 | 228 | 262 | 優勝 |
| 1964–65 | 70 | 31 | 37 | 2 | 64 | 255 | 283 | 不参加 |
| 1965–66 | 72 | 32 | 36 | 4 | 68 | 243 | 248 | 第1ラウンド敗退 |
| 1966–67 | 72 | 32 | 30 | 10 | 74 | 228 | 242 | 第1ラウンド敗退 |
NHL
| シーズン | GP | W | L | T | Pts | GF | GA | 順位 | プレーオフ | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1967–68 | 74 | 15 | 42 | 17 | 47 | 153 | 219 | ウェスト6位 | 不出場 | ||
| 1968–69 | 76 | 29 | 36 | 11 | 69 | 219 | 251 | ウェスト2位 | 準々決勝敗退 (LA), 3–4 | ||
| 1969–70 | 76 | 22 | 40 | 14 | 58 | 169 | 243 | ウェスト4位 | 準々決勝敗退 (PIT), 0–4 | ||
| 1970–71 | 78 | 20 | 53 | 5 | 45 | 199 | 320 | ウェスト7位 | 不出場 | ||
| 1971–72 | 78 | 21 | 39 | 18 | 60 | 216 | 288 | ウェスト6位 | 不出場 | ||
| 1972–73 | 78 | 16 | 46 | 16 | 48 | 213 | 323 | ウェスト8位 | 不出場 | ||
| 1973–74 | 78 | 13 | 55 | 10 | 36 | 195 | 342 | ウェスト8位 | 不出場 | ||
| 1974–75 | 80 | 19 | 48 | 13 | 51 | 212 | 316 | アダムス4位 | 不出場 | ||
| 1975–76 | 80 | 27 | 42 | 11 | 65 | 250 | 278 | アダムス4位 | 不出場 | ||
| クリーブランドに移転 | |||||||||||
| 合計 | 698 | 182 | 401 | 115 | 479 | 1,826 | 2,580 | ||||
クリーブランド・バロンズ
| クリーブランド・バロンズ Cleveland Barons | |
| カンファレンス | |
| ディビジョン | アダムス・ディビジョン (1976-78) |
| 創設年 | 1967年 |
| 歴代チーム名 | カリフォルニア・シールズ 1967 オークランド・シールズ 1967–1970) カリフォルニア・ゴールデンシールズ 1970–1976 クリーブランド・バロンズ 1976–1978 |
| ホームアリーナ | リッチフィールド・コロシアム |
| ホームタウン | オハイオ州クリーブランド |
| チームカラー | 赤、黒、白 |
| メディア | |
| オーナー | |
| GM | |
| ヘッドコーチ | |
| キャプテン | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| スタンレーカップ優勝 (0回) | |
| アブコワールド (0回) | |
| カンファレンス優勝 (0回) | |
| ディビジョン優勝 (0回) | |
| プレジデンツトロフィー | |
クリーブランドは1936年のAHL創設メンバーであるクリーブランド・バロンズとWHA創設メンバーであるクリーブランド・クルセイダーズの本拠として、すでにマイナーリーグ以上の最大都市圏としての実績があった。クルセイダーズは8月初旬にミネソタ州セントポールへ移転し、オハイオ州初のNHLチームである新生バロンズを迎え入れた。[2]
ボストン・ブルーインズとバッファロー・セイバーズは当時の強豪でトロント・メープルリーフスは競争力があり、バロンズは2シーズン連続してディビジョン最下位に沈んだ。当時、NHL最大の収容人数18,544人を誇るリッチフィールド・コロシアムには移転初年度シーズンの平均観客数は6,194人、翌年には5,676人の観客しか集まらず、開始から半年で財政難に陥り、NHL選手会と他のNHLチームからの救済を得て初年度を完走した。
1977年6月にオーナーのスウィグはバロンズをジョージとゴードンのガンド兄弟に売却した。11月23日、ホームで当時最強のモントリオール・カナディアンズを2対1で破り、その後ニューヨーク・アイランダース、セイバーズ、メープルリーフスをホームで連破する大活躍にもかかわらず、1978年4月9日にリッチフィールドの7,364人の観衆の前でピッツバーグ・ペンギンズに敗れ、フランチャイズ最後の試合を終えた。NHLの2シーズンでバロンズは一度も試合のチケットを完売させることができなかった。
1978年6月、NHLはバロンズと財政難に陥った別のクラブ、ミネソタ・ノーススターズとの合併を認めた。取引の一環として、ガンド兄弟がノーススターズの所有権を引き継ぎ、バロンズは解散した。アリゾナ・コヨーテズが2024年にユタ州に移転するまでは、独立運営を終了した最後のNHLフランチャイズであった。
ガンド家は将来の拡張チームの権利を取得し、それは1991年にサンノゼ・シャークスの創設としてNHLのベイエリアへの帰還を可能にした。次にクリーブランドにプロホッケーが復活したのは1993年のIHLのクリーブランド・ランバージャックスであり、再びオハイオ州にNHLフランチャイズが復活したのは、2000年のコロンバス・ブルージャケッツであった。
シーズンごとの成績
| シーズン | GP | W | L | T | Pts | GF | GA | 順位 | プレーオフ | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| オークランドから移転 | |||||||||||
| 1976–77 | 80 | 25 | 42 | 13 | 63 | 240 | 292 | アダムス4位 | 不出場 | ||
| 1977–78 | 80 | 22 | 45 | 13 | 57 | 230 | 325 | アダムス4位 | 不出場 | ||
| ミネソタ・ノーススターズと合併 | |||||||||||
| 合計 | 160 | 47 | 87 | 26 | 120 | 470 | 617 | ||||

