カル・エイブラムス
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1953年のエイブラムス | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
| 生年月日 | 1924年3月2日 |
| 没年月日 | 1997年2月25日(72歳没) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| 初出場 | 1949年4月20日 |
| 最終出場 | 1956年5月9日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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カル・エイブラムス(Cal Abrams, 1924年3月2日 - 1997年2月25日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州出身のプロ野球選手(外野手)。
1942年のシーズン開幕前にブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)に入団し、1949年にメジャーデビューを果たす。1年目と2年目は冴えない数字に終わったが、3年目の1951年には67試合の出場で打率.280を残すなど徐々に結果を残し始める。翌1952年はドジャースでは出番があまりなかったため、シーズン途中にトレードでシンシナティ・レッズへ移籍。レッズでは71試合に出場し、ドジャースで試合に出られなかった分を取り戻した。
その後、シーズンオフにトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍。パイレーツでは打撃に更に磨きがかかり、外野のレギュラーを奪取。規定打席もクリアし、当時24歳の若き主砲フランク・トーマスに次ぐ15本塁打も記録した。1954年は開幕から調子が上がらず控えに甘んじるが、シーズン途中にボルチモア・オリオールズへ移籍すると復活し、アメリカンリーグの規定打席をクリアして打率.293を残した。
しかし翌1955年に打率が.243まで急落すると、その後は復活出来ず、1955年のシーズンオフにはトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍したが、4試合の出場に終わり、この年限りで現役を引退した。
1997年にフロリダ州で心臓病のため死亡。エイブラムスの遺体はブルックリン・ドジャースのユニフォームを身にまとって埋葬された。
選手としての特徴
- 選球眼の良い選手で、四球を選ぶことが多かったため、出塁率はかなりの高水準となっている。通算.386という数値は、単純に比較は出来ないものの、イチロー、デビッド・オルティーズ、ミゲル・テハダ(3人とも2009年シーズン終了時点)といった強打者よりも高い数字である。
- 通算で盗塁数12に対して、盗塁失敗が18もあるように、足は決して速くなかった。