カンカラ三線
空き缶を胴に用いた三線
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概要
カンカラ三線は、胴に金属缶を用いる簡易な三線である。戦後の物資不足の状況下で、身近に入手できる材料を用いて作られた楽器として語られることが多い。[1]
一般的な三線が木製の胴に蛇皮を張るのに対し、カンカラ三線は缶を胴として用いる。棹、糸巻、弦を備える点では三線と共通するが、胴の材料と構造に違いがある。
歴史
屋嘉収容所での製作と演奏
第二次世界大戦後、金武村屋嘉(現・金武町)には投降した旧日本軍将兵を収容する施設(屋嘉収容所)が設けられた。屋嘉収容所に関する案内では、捕虜となった沖縄出身者らが、空き缶、木材、パラシュートの紐など入手可能な材料を用いてカンカラ三線を作り、演奏するようになったと説明されている。[2]
屋嘉節との関係
「屋嘉節」は、終戦直後の屋嘉収容所に関わる歌として知られる。沖縄県公式サイト(広報誌『美ら島沖縄』)では、屋嘉節が配給された缶詰の空き缶やパラシュートの紐などで作ったカンカラ三線にのせて謡われたと説明されている。[4]
また琉球新報の報道でも、収容所の捕虜がパラシュートの紐や空き缶で作ったカンカラ三線を用いて屋嘉節を歌っていた旨が記されている。[5]
戦後沖縄とディアスポラでの言及
英語圏の学術研究では、沖縄戦後の物資不足の状況下で、空き缶やパラシュートの紐を用いた「tin-can sanshin(kankara)」が作られたとする説明がみられる。[6]
また沖縄系移民(ディアスポラ)を扱う研究書では、米国の収容施設において、空き缶を用いた粗製のカンカラ三線が演奏された例に言及している。[1]
構造と材料
写真記録
戦後芸能・平和教育との関わり
戦後沖縄の芸能史では、カンカラ三線が人々を励ます楽器として語られることがある。小那覇舞天は、戦後の収容所や地域社会で人々を励ました芸人として知られ、カンカラ三線を用いた芸能の文脈で言及されている。[10]
琉球新報の書評では、宮里春行がシベリア抑留の地でカンカラ三線を用いて「浜千鳥」を歌い、捕虜たちを慰めた人物として言及されている。[11]
平和教育の事例を扱う英文論集では、伊江島で起きた出来事を人々に伝える文脈において、カンカラ三線で演奏される歌が用いられたとする記述がみられる。[12]
国外での平和教育の例として、JICAボランティアの徳森りまは、ペルーの日系学校で沖縄戦や平和教育について講演し、授業の最後にカンカラ三線の歴史を語って三線を演奏した。[13]
演奏・使用例
国外での言及
題材とした作品
関連項目
- かんからさんしん (映画)
- 三線
- 屋嘉節
- 屋嘉捕虜収容所
- 金武町
- 沖縄戦
- 世界のウチナーンチュ大会
- 沖縄県立公文書館