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カンカラ三線

空き缶を胴に用いた三線 From Wikipedia, the free encyclopedia

カンカラ三線(カンカラさんしん)は、胴に空き缶などの金属缶を用いて作られる三線の一種である。一般的な三線が蛇皮を張った胴を用いるのに対し、カンカラ三線は缶を共鳴胴として用いる点に特徴がある。英語圏の研究や解説では「tin-can sanshin」と説明されることがある。[1]

概要 カンカラ三線, 各言語での名称 ...
カンカラ三線
別称:かんから、缶から三線
各言語での名称
Kankara sanshin、tin-can sanshin
カンカラ三線
カンカラ三線
分類

弦楽器撥弦楽器

関連楽器

三線

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第二次世界大戦後の沖縄では、金武村(現在の金武町)屋嘉に設けられた捕虜収容所において、配給された缶詰の空き缶やパラシュートの紐など、入手可能な材料を用いて作られ、演奏されたことが行政サイトや報道で説明されている。[2][3]

概要

カンカラ三線は、胴に金属缶を用いる簡易な三線である。戦後の物資不足の状況下で、身近に入手できる材料を用いて作られた楽器として語られることが多い。[1]

一般的な三線が木製の胴に蛇皮を張るのに対し、カンカラ三線は缶を胴として用いる。棹、糸巻、弦を備える点では三線と共通するが、胴の材料と構造に違いがある。

歴史

屋嘉収容所での製作と演奏

第二次世界大戦後、金武村屋嘉(現・金武町)には投降した旧日本軍将兵を収容する施設(屋嘉収容所)が設けられた。屋嘉収容所に関する案内では、捕虜となった沖縄出身者らが、空き缶、木材、パラシュートの紐など入手可能な材料を用いてカンカラ三線を作り、演奏するようになったと説明されている。[2]

報道においても、米軍が配給した缶詰の空き缶を胴にして作られた三線が演奏されていたことが言及されている。[3]

屋嘉節との関係

屋嘉節」は、終戦直後の屋嘉収容所に関わる歌として知られる。沖縄県公式サイト(広報誌『美ら島沖縄』)では、屋嘉節が配給された缶詰の空き缶やパラシュートの紐などで作ったカンカラ三線にのせて謡われたと説明されている。[4]

また琉球新報の報道でも、収容所の捕虜がパラシュートの紐や空き缶で作ったカンカラ三線を用いて屋嘉節を歌っていた旨が記されている。[5]

戦後沖縄とディアスポラでの言及

英語圏の学術研究では、沖縄戦後の物資不足の状況下で、空き缶やパラシュートの紐を用いた「tin-can sanshin(kankara)」が作られたとする説明がみられる。[6]

また沖縄系移民(ディアスポラ)を扱う研究書では、米国の収容施設において、空き缶を用いた粗製のカンカラ三線が演奏された例に言及している。[1]

構造と材料

カンカラ三線は、胴に金属缶を用い、棹、糸巻(カラクイ)、弦などから構成される。屋嘉収容所に関する案内では、空き缶、あり合わせの木材、パラシュートの紐など、入手可能な材料を用いて作られたと説明されている。[2]

現代では、カンカラ三線の構造を再現した手作りキットも販売されており、学習や体験を目的とした教材として用いられる例がある。[7]

写真記録

写真家平良孝七は、戦後沖縄におけるカンカラ三線の姿を記録した写真集『沖縄カンカラ三線:平良孝七写真集1961年〜1981年』を1982年に刊行したことが、沖縄県公文書館の資料で確認できる。[8]

また東京都写真美術館の解説においても、平良の略歴とともに同写真集の刊行が言及されている。[9]

戦後芸能・平和教育との関わり

戦後沖縄の芸能史では、カンカラ三線が人々を励ます楽器として語られることがある。小那覇舞天は、戦後の収容所や地域社会で人々を励ました芸人として知られ、カンカラ三線を用いた芸能の文脈で言及されている。[10]

琉球新報の書評では、宮里春行がシベリア抑留の地でカンカラ三線を用いて「浜千鳥」を歌い、捕虜たちを慰めた人物として言及されている。[11]

平和教育の事例を扱う英文論集では、伊江島で起きた出来事を人々に伝える文脈において、カンカラ三線で演奏される歌が用いられたとする記述がみられる。[12]

国外での平和教育の例として、JICAボランティアの徳森りまは、ペルーの日系学校で沖縄戦や平和教育について講演し、授業の最後にカンカラ三線の歴史を語って三線を演奏した。[13]

演奏・使用例

カンカラ三線は、戦後沖縄に関わる歌の記録や、現代の演芸・音楽活動の中でも用いられている。

民謡歌手の金城実は、LP『時代』に収録された「屋嘉節」をカンカラ三線を弾きながら歌った録音として言及されている。[14]

野村流音楽協会吉野久一は、屋嘉収容所跡での追悼演奏において「屋嘉節」を演奏する際、自作のカンカラ三線を用いた。[15]

演歌師の岡大介は、落語協会の公式プロフィールで芸種を「カンカラ三線」としている。[16]

いんやくりおは、琉球新報の記事で「カンカラ三線奏者」として取り上げられ、2012年からカンカラ三線を弾き始めたことが報じられている。[17]

国外での言及

ハワイ沖縄連合会(HUOA)の広報資料では、子どもたちがカンカラ三線の製作と演奏を学ぶ活動が記録されている。[18]

浦添市の広報資料では、戦後に缶で作る簡易なカンカラ三線が普及した旨が説明されている。[19]

Worldwide Uchina Network(WUN)の活動報告では、ボリビアの沖縄文化フェスティバルにおいて、展示物の一つとしてカンカラ三線が記録されている。[20]

題材とした作品

カンカラ三線を題材名に含む作品に、嶋津与志・戸井昌造による児童書『かんからさんしん物語 : 沖縄戦を生きぬいた子どもたち』がある。同書は1989年に理論社から刊行された。[21]

また、同名の長編アニメーション映画『かんからさんしん』が1989年に公開された。[22]

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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