カヴェーゼ1919

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原語表記 Cavese 1919 S.r.l.
愛称 Aquilotti (若鷲)
Metelliani (メテッルス人)
Blufoncé (濃紺)
クラブカラー 青と白
創設年 1919年
カヴェーゼ1919
原語表記 Cavese 1919 S.r.l.
愛称 Aquilotti (若鷲)
Metelliani (メテッルス人)
Blufoncé (濃紺)
クラブカラー 青と白
創設年 1919年
所属リーグ セリエC・ジローネC
所属ディビジョン 3部
ホームタウン カーヴァ・デ・ティッレーニ
ホームスタジアム スタディオ・シモネッタ・ランベルティ
スタディオ・シモネッタ・ランベルティイタリア語版
収容人数 5,200
代表者 イタリアの旗 アレッサンドロ・ランベルティ
監督 イタリアの旗 ファビオ・プロスペリ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

カヴェーゼ1919Cavese 1919 S.r.l.)は、イタリアカンパニア州カーヴァ・デ・ティッレーニを本拠地とするサッカークラブ。

クラブ名の変遷

1919年5月25日、「USカヴェーゼ」として創立。当初はサン・フランチェスコ広場の空き地をピッチとして利用していた。

1921年、昇格を懸けたプレーオフで、対戦相手のノチェリーナが試合を棄権したことでクラブ史上初の昇格を決定。さらに、他クラブの出場辞退に伴う欠員補充として、特例で1部リーグ(プリマ・ディヴィジオーネ)に参加した。3シーズン連続で1部で戦った後、財政難により辞退し、以降は長期間にわたって下部リーグでの戦いが続いた。

1966年からスタディオ・コムナーレの建設が始まり、1969年1月12日に初試合が行われた。1968-69シーズンはリーグ2位に終わったが、スポーツ上の功績が認められセリエD昇格が決定した。

1976-77シーズン、リーグ戦をわずか2敗で終え、34年ぶりとなるセリエCへの復帰を果たした。昇格1年目のシーズンは苦戦を強いられ、シーズン途中でピエトロ・フォンターナイタリア語版監督を解任。その後、戦術家として知られるコッラード・ヴィチアーニイタリア語版を新監督に招聘して立て直しを図った。最終節の勝利によって順位を上げ、翌シーズンからのリーグ改編に伴って新設されたセリエC1への参加権を確保した。

1980年代に入るとチームは安定した成績を収めるようになり、アングロ=イタリアン・カップに参加するなど国際的な舞台も経験した。1980-81シーズン、ヴィチアーニの後任としてクラブOBのピエトロ・サンティンイタリア語版が監督に就任。就任1年目にしてクラブ史上初となるセリエBへの昇格を成し遂げた。

1982-83シーズン、サン・シーロACミランから勝利を挙げるなどシーズン終盤までセリエA昇格を争う健闘を見せたが、最終順位は6位に留まった[1]。1983年4月2日に行われたホームでのACミラン戦では、前年にカモッラのテロの犠牲となったアルフォンソ・ランベルティ判事の娘、シモネッタ(当時11歳)を偲んで、スタディオ・コムナーレが「スタディオ・シモネッタ・ランベルティ」へと改称された[2]。また、この試合は引き分け(2-2)に終わり、その後両クラブが再び対戦する機会は現在まで一度もないため、カヴェーゼはACミランに対して無敗かつ勝ち越している数少ないクラブの一つとなっている。

1983-84シーズン、サンティンがセリエAナポリへ引き抜かれ、後任にマウリツィオ・ブルーノイタリア語版が監督に就任したが、成績不振によりシーズン途中で解任された。その後、立て続けに監督を交代して立て直しを図ったが低迷は続き、セリエC1への降格が決定。セリエBでの挑戦は3シーズンで幕を閉じた。

1984-85シーズン、グエリーノ・アマート新会長の下で1年でのセリエB復帰を目指し、監督にロメオ・ベネッティを招聘した。しかし成績不振に陥り、シーズン途中にコッラード・ヴィチアーニを再登板させて辛うじてセリエC1残留を果たした。

1985-86シーズンはリーグ戦を5位で終える好成績を収めた。しかし、違法賭博スキャンダル(トトネロ・ビス)にアマート会長およびクラブが関与していたことが発覚し、5位から最下位への順位繰下げ、セリエC2への強制降格、翌シーズンの勝ち点減点という重い処分を下された。

1991年夏、財政難によりプロリーグから除外されたクラブは、カステル・サン・ジョルジョのSSイントレピダ・ランツァーラと合併して「SSイントレピダ・カヴェーゼ」に改称しエッチェッレンツァから再出発した。1993-94シーズンは、30戦25勝(わずか11失点)の無敗という圧倒的な成績で優勝を飾り、C.N.D.(5部相当)への昇格を果たした。

2002-03シーズン、マリオ・ソンマイタリア語版監督に率いられたチームはジローネ優勝を果たし、セリエC2への復帰を決めた。さらにこのシーズンは、各ジローネの勝者9クラブで争われるプール・スクデットの決勝でイゼルニアを破り、スクデット・セリエDのタイトルを獲得した。

2006年4月15日、サッスオーロに勝利し、残り3試合を残して21年ぶりにセリエC1への昇格を決めた。しかし、4月16日の昇格祝賀会の夜、主力ディフェンダーのカテッロ・マーリが帰宅途中に交通事故に遭い急逝するという悲劇に見舞われた。これを受けて彼の背番号「6」は永久欠番となり[3]、スタジアムのクルヴァ・スッド(南側ゴール裏のスタンド席)は彼を称えて「クルヴァ・スッド・カテッロ・マーリ」と命名された[4]。同シーズンはスーペルコッパ・ディ・レガ・ディ・セリエC2も制覇して幕を閉じた。

2006-07シーズン、リーグ戦を3位で終える大躍進を遂げた。セリエB昇格を懸けたプレーオフでは、準決勝でフォッジャと対戦。アウェイでの第1戦を2-5で落とした後、ホームでの第2戦では試合終了間際に痛恨の失点を喫して3-1で試合終了となり、セリエB昇格の夢は目前で潰えた。シーズン終了後、3年間にわたりチームを躍進させたサルヴァトーレ・カンピロンゴイタリア語版監督が退任し、新監督にレナート・チョッフィを迎えた。

2007-08シーズン、序盤から低迷し、チョッフィからアルド・アンマッツァロルソイタリア語版、さらに1月にはアルド・パパーニへと次々に監督を交代した。また、2008年2月17日のフォリーニョ戦(0-1)で敗れ、長らく続いていたホームでの無敗記録が46試合で途絶えた。

2008-09シーズンは最終節で惜しくもプレーオフ進出を逃し、続く2009-10シーズンはフロントの混乱も影響して下位に低迷。シーズン途中でフットサル出身のアジェノーレ・マウリツィイタリア語版監督を解任し、マウロ・メロッティイタリア語版を新監督に迎えて辛うじて残留を果たした。このシーズンの冬の移籍市場では、ナポリからロレンツォ・インシーニェを期限付き移籍で獲得した。

2010年夏、深刻な財政難に陥っていたクラブは市民や起業家からの寄付で辛うじてレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネへの登録を果たした。しかし、以前の財政不備を問われて連盟から勝ち点減点の重い処分を下される。これが響いて2010-11シーズンは降格圏でフィニッシュし、さらなる財政問題でプロリーグの登録資格を剥奪された。

その後、地元の起業家グループがヴィス・サン・ジョルジョ(Vis San Giorgio)のタイトルを買い取って「ASDチッタ・デ・ラ・カーヴァ1394」を設立し、エッチェッレンツァに登録した。2011-12シーズンは3位に終わったが、昇格プレーオフを勝ち抜き、1年でセリエD昇格を果たした。

昇格を機にクラブ名称を「USDプロ・カヴェーゼ」に変更。セリエD復帰後も数年間は経営陣の交代が相次ぎ不安定な時期が続いたが、2015年に就任したドメニコ・カンピティエッロ会長の下でチームは再建され、2シーズン連続で昇格争いを演じた。

2017年夏、マッシミリアーノ・サントリエッロを筆頭とする地元起業家グループがクラブを買収。2017-18シーズンのセリエDでリーグ2位に入り、さらにプレーオフで優勝した。2018年夏にセリエCへの繰り上げ昇格が承認され、プロリーグへの帰還を果たした。

2019-20シーズンは、サルヴァトーレ・カンピロンゴが監督に復帰し、スタジアム改修工事による移転を乗り越え昇格プレーオフ圏内に迫ったものの、新型コロナウイルスのパンデミックによりシーズンが打ち切りとなった。

2020-21シーズンは開幕から深刻な成績不振に陥り、度重なる監督交代も実を結ばなかった。さらにシーズン後半、チーム内で新型コロナウイルスの大規模なクラスターが発生。選手やスタッフのほぼ全員が感染する事態となった。その中にはカンピロンゴ監督の右腕であったアシスタントコーチのアントニオ・ヴァナコーレも含まれており、2021年3月16日に闘病の末亡くなった[5]。この深い悲しみと混乱により敗戦が重なり、最終的に最下位でセリエDへの降格が決定した。

2022年夏、クラブの経営権の完全な譲渡が発表される。1970年代から80年代にかけてクラブの名誉会長を務めたアルフォンソ・ランベルティ判事の孫であるアレッサンドロ・ランベルティ弁護士がクラブの全株式を取得。さらにアルフォンソの兄弟であるアルフレード・ランベルティが新たな名誉会長に就き、クラブの歴史と縁の深いランベルティ家による新体制がスタートした。

2022-23シーズン、終盤まで首位をキープしていたが残り3試合で失速し、最終節を終えてブリンディジと勝ち点で並ぶと、昇格を懸けた直接対決で敗北。さらにその後の昇格プレーオフでも敗れ、手中に収めかけていたセリエC昇格を逃す痛恨のシーズンとなった。

2023-24シーズン、ダニエレ・チネッリイタリア語版監督の下で好スタートを切ったものの、2024年1月に1勝2分1敗と成績が停滞。前シーズンの終盤の逆転劇による昇格逸失を危惧したランベルティ会長は、2月5日にチネッリ監督の解任を発表し[6]、ラッファエーレ・ディ・ナポリを新監督に招聘した[7]。ディ・ナポリ監督就任後は圧倒的な強さで勝ち点を量産。2024年4月7日、4試合を残して早々にリーグ優勝と昇格を決定。最終的に2位に勝ち点16差をつける独走劇だった。

2024-25シーズン、序盤の成績不振により10月にディ・ナポリ監督を解任し[8]、ヴィンチェンツォ・マイウーリを新監督として呼び戻した[9]。監督交代後は着実に勝ち点を積み上げ、2025年3月22日のトラーパニ戦に勝利してセリエC残留を確定させた。

2025-26シーズン、マイウーリ監督の辞任に伴い、ファビオ・プロスペリを新監督に迎えた[10]

  • 1919-1961:USカヴェーゼ (Unione Sportiva Cavese)
  • 1961-1962:GSティッレーニア (Gruppo Sportivo Tirrenia)
  • 1962-1974:ポリスポルティーヴァ・カヴェーゼ (Polisportiva Cavese)
  • 1974-1980:ASプロ・カヴェーゼ (Associazione Sportiva Pro Cavese)
  • 1980-1989:SSカヴェーゼ (Società Sportiva Cavese)
  • 1989-1991:プロ・カヴェーゼ・カルチョ (Pro Cavese Calcio)
  • 1991-1994:SSイントレピダ・カヴェーゼ (Società Sportiva Intrepida Cavese)
  • 1994-1998:SSカヴェーゼ・カルチョ (Società Sportiva Cavese Calcio)
  • 1998-2003:SSカヴェーゼ・カルチョ1919 (Società Sportiva Cavese Calcio 1919)
  • 2003-2011:SSカヴェーゼ1919 (Società Sportiva Cavese 1919)
  • 2011-2013:ASDチッタ・デ・ラ・カーヴァ1394 (Associazione Sportiva Dilettantistica Città de la Cava 1394)
  • 2013-2014:USDプロ・カヴェーゼ (Unione Sportiva Dilettantistica Pro Cavese)
  • 2014-2017:USDカヴェーゼ1919 (Unione Sportiva Dilettantistica Cavese 1919)
  • 2017-:カヴェーゼ1919 (Cavese 1919)

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

なし

過去の成績

シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア
ディビジョン勝ち点順位
1969-70 セリエD・ジローネG349141134333210位
1970-71 34139123227359位
1971-72 341291338353310位
1972-73 341111123437339位
1973-74 34682020382018位[11]
1974-75 34101683229366位
1975-76 34129134336339位
1976-77 セリエD・ジローネH34191324517511位
1977-78 セリエC・ジローネC38920929253812位
1978-79 セリエC1・ジローネB3481882932348位
1979-80 349151024253312位
1980-81 34141643821441位
1981-82 セリエB3811141328353616位1回戦敗退
1982-83 38121883837426位1回戦敗退
1983-84 388171325333319位1回戦敗退
1984-85 セリエC1・ジローネB347171026273114位
1985-86 3482062619365→18位[12]
1986-87 セリエC2・ジローネD3410159363235→30[13]13位GS敗退
1987-88 34137143035339位
1988-89 34131742915433位
1989-90 3491872829368位
1990-91 3491873028367位[14]
1991-92 エッチェッレンツァ・カンパニア・ジローネB30151054521402位
1992-93 3017675932403位
1993-94 302550661155→531位
1994-95 C.N.D.・ジローネH34141373624414位
1995-96 348141236443812位
1996-97 C.N.D.・ジローネG3420955826691位
1997-98 セリエC2・ジローネC34817941454112位
1998-99 34101683529468位
1999-00 349141123284113位
2000-01 347131426403417位[15]
2001-02 34 8131328403714位[16]
2002-03 セリエD・ジローネI3425544810801位
2003-04 セリエC2・ジローネC3410101432374011位
2004-05 34177104526585位
2005-06 セリエC2・ジローネB34181244718661位1回戦敗退
2006-07 セリエC1・ジローネB34171164630623位2回戦敗退
2007-08 セリエC1・ジローネA3411111244444410位
2008-09 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネB34141194035536位2回戦敗退
2009-10 34916925254310位1回戦敗退
2010-11 3481115314135→2918位[17]1回戦敗退
2011-12 エッチェッレンツァ・カンパニア・ジローネB3017945927603位
2012-13 セリエD・ジローネI34111494738478位
2013-14 3414119845453→497位
2014-15 セリエD・ジローネH3419510724462→565位
2015-16 セリエD・ジローネI3620885436683位
2016-17 3620885436683位
2017-18 セリエD・ジローネH3424466831762位
2018-19 セリエC・ジローネC3611141149504711位
2019-20 30[18]9111024363813位
2020-21 36582327552319位
2021-22 セリエD・ジローネI3623855821772位
2022-23 セリエD・ジローネH3420956635692位
2023-24 セリエD・ジローネG3424645724781位
2024-25 セリエC・ジローネC3410111334394112位
2025-26

現所属メンバー

歴代監督

歴代所属選手

脚注

外部リンク

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