リン鉱石採掘跡地
オーストラリアとイギリス、ニュージーランドは、リン鉱石を掘り尽くし、国土のほとんどは荒廃した状態となった[3][4]。さらに科学者たちは1990年代にナウル島では人が住めなくなると警告した。しかし島の委任統治を担当していた3国は復興には途方もない費用がかかるため、残された選択肢は「全島民の計画移住」しかないと考えた。
ロバート・メンジーズ首相(当時)
1962年、オーストラリアのロバート・メンジーズ首相(当時)はナウル島民の農業・経済発展の機会を奪った事を責任がある事を認めた上で、オーストラリアを含む3カ国は「ナウル国民が納得できる未来を差し出す明確な義務を負う」と述べた[3]。その義務とは、ナウル島民が全員丸ごと移住できる島を探し出す事、もしくは3国の内のどこか一つの国か3国すべてが島民を受け入れると言う事だった。
同年にオーストラリア政府は太平洋に「有望な島」が残っていないか、徹底的に調査させた。フィジーやパプアニューギニア、ソロモン諸島、オーストラリア北部海域に至るまで調査をした。しかし現地住民からの反対や経済状況が整っていない事から最終的にはどの候補地も不適当とされた。
1963年、オーストラリア・クイーンズランド州のカーティス島が候補地に浮上した。同島は面積572㎢ほどでナウル島の27倍近くの大きさがある[5]。オーストラリア国籍を取得し、自治権を持ったうえでの農業や漁業、牧畜を基盤とする新生活の構想が提示された。住宅地の建設、農地の開拓、インフラの整備といった2億7400万豪ドルに上る費用は支援国が分担することとなっていた。
メンジース政権は計画を「ナウル島民の希望に沿う誠実で寛大なもの」だと自画自賛していたいたが、ナウル島に住む住民が移住を拒否した。それはナウル人の多くは、自らの文化的アイデンティティを失うことへの不安を抱いていたことや、ナウル島の完全復興にかかる莫大な費用に比べれば移住費用はたかが知れており、負担回避だと反発したことなどが主な理由であった[3]。さらに、オーストラリア政府自身もカーティス島の主権放棄を拒み、あくまでもカーティス島はオーストラリア領であり、ナウル島の住民もオーストラリア国民となる構想だった。これらの事からナウル島の住民は移住計画を拒否し幻の物となった。
2003年に計画が再浮上したことがある。当時のナウルは政権が一年の間に複数回交代し、さらには電話システムの障害で海外と連絡が取れない状況に陥った[6]。オーストラリアは1700万ドルの支援などを行ったが問題の解決には至らなかった。そこでアレクサンダー・ダウナー外相(当時)が、ナウルは「財政が崩壊しており、将来の発展が見込めない」と発言。その解決策として、ナウル政府に対して全住民の国外移住を再度提案した。しかしナウルは、1963年のときと同じく、オーストラリア領に移住すれば国家としてのアイデンティティや文化が失われるとして拒否した[3]。