カート・ベッチャー
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| カート・ベッチャー Curt Boettcher | |
|---|---|
| 出生名 | Curtis Roy Boettcher |
| 生誕 | 1944年1月7日 |
| 出身地 |
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| 死没 |
1987年6月14日(43歳没) |
| ジャンル | ポップス、ロック、ソフトロック、サンシャイン・ポップ |
| 職業 | 作曲家、ソングライター、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ドラム |
| 活動期間 | 1964年 - 1984年 |
| 共同作業者 | ミレニウム、サジタリアス、ゴールドブライアーズ、ボールルーム、ゲイリー・アッシャー、キース・オルセン |
カート・ベッチャー(英:Curt Boettcher、本名:カーティス・ロイ・ベッチャー、1944年1月7日 - 1987年6月14日)は、アメリカ合衆国のソングライター、プロデューサーである。
アメリカ合衆国のウィスコンシン州オークレアに生まれる。父は海軍に勤め、高校に入る前の2年間を山口県の岩国で過ごした。
1962年、ミネソタ大学在学中にフォーク・グループであるゴールドブライアーズを結成。ママス&パパス加入前のキャス・エリオットや同じくラヴィン・スプーンフル加入前のジョン・セバスチャンらが所属していたマグワンプスとコーラス・セッションを行なったこともあった。グループは2枚のアルバムをリリースした後、1965年に解散する[1]。
その後、トミー・ロウやアソシエイション、MFQなどの楽曲アレンジやプロデュースに携わったのち、1966年にボールルームを結成。そのデモテープを聴いたゲイリー・アッシャーの勧めにより、CBSレコードとの契約を獲得する[2]。契約後、ボールルームはミレニウムへと名称を変更。また、並行して行われていたプロジェクトであるサジタリアスのアルバム『プレゼント・テンス』が1967年末にリリース。そして、ミレニウムのアルバムである『ビギン』も1968年にリリースされた。このアルバムは8トラックの機材2台をフィードするという手法で16チャンネルで録音され、この手法はサイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』と並んで世界で初めて使われたものであった。
しかし、前衛的すぎるという理由で積極的なプロモーションがされず[3]、グループは解散となる。
その後、ゲイリー・アッシャー、キース・オルセンとトゥゲザー・レコードを設立し、1969年にサジタリアスとして『ブルー・マーブル』をリリース。
レーベル解散後、1973年に初のソロ・アルバム『ゼアズ・アン・イノセント・フェイス』を発表。ゲイリー・アッシャーをプロデューサーに迎え、コーラスにはゴールドブライアーズのメンバーであったドティ・ホルムバーグらが参加していた。しかし、同じくプロモーション不足によってヒットはしなかった。また、セカンド・アルバム『チキン・リトル・ウォズ・ライト』の録音が始まるも、レーベルとのトラブルや離婚問題などによって計画は頓挫し、その後シアトルにおいてディスコでDJ業を始めることとなった[3]。
その後はザ・ビーチ・ボーイズのプロデュースやデイヴ・エドモンズ、エルトン・ジョンらのコーラスに参加するなど活動していたが、1987年に後天性免疫不全症候群(エイズ)によって43歳で死去した。