Wikiwand AI

ガジ・ガジエフ

From Wikipedia, the free encyclopedia

ラテン文字 Gadzhi Gadzhiev
ロシア語 Гаджи Гаджиев
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1945-10-28) 1945年10月28日(79歳)
ガジ・ガジエフ
名前
ラテン文字 Gadzhi Gadzhiev
ロシア語 Гаджи Гаджиев
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1945-10-28) 1945年10月28日(79歳)
出身地 ソビエト連邦の旗ブイナクスク
ユース
1959-1964 ソビエト連邦の旗スパルタク・ハサヴュルト
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1964 ソビエト連邦の旗 スパルタク・レニングラード(ロシア語版)
1965 ソビエト連邦の旗スコロホート・レニングラード
監督歴
1973-1975 ソビエト連邦の旗 ディナモ・マハチカラ(ロシア語版)
1983-1985 ソビエト連邦の旗 ネフチ・バクー
1999-2001 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2002 日本の旗 サンフレッチェ広島
2003 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2004-2006 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ
2007-2008 ロシアの旗 サトゥルン・ラメンスコーエ
2010-2011 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2012 ロシアの旗 ヴォルガ
2013 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ
2013-2014 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ
2015-2018 ロシアの旗 アムカル・ペルミ
1. 国内リーグ戦に限る。2008年11月10日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ガジ・ムスリモヴィチ・ガジエフ(ロシア語: Гаджи Муслимович Гаджиев、ロシア語ラテン翻字: Gadzhi Muslimovich Gadzhiev、1945年10月28日 - )は、ロシア・ダゲスタン共和国出身[1] の元サッカー選手、サッカー指導者。

ソ連時代

ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国ブイナクスク出身[2]。スパルタク・ハサヴュルトでユース年代を過ごす[1][2]。

その後、レニングラードの2クラブ、スパルタク・レニングラード(ロシア語版)とスコロホート・レニングラードでプレーするものの、1965年に極度の近視を理由に若くして現役引退した[1][2]。

その後はスパルタク・ハサヴュルトでコーチ経験を積んだ後、1973年ディナモ・マハチカラ(ロシア語版)監督に就任[1][2]、1975年にはダゲスタンのリーグで優勝した。退任後はモスクワの大学で[1] スポーツ心理学とトレーニングを学び、教育学の博士号を取得。そのままモスクワに留まり1980年からCSKAモスクワでコーチとして活躍した[2]。

ソ連/ロシア代表

一方、1978年からソビエト連邦代表スタッフ入りし、A代表や五輪代表のアシスタントコーチ、ナショナルトレセンの代表者やU-19およびU-16監督などを歴任する[1]。

ソビエト連邦の崩壊後の1992年独立国家共同体(CIS)代表、1992年バルセロナオリンピックEUN代表、1992年からのロシアでも代表コーチの職にあり、20年近く代表スタッフとして活躍した[1]。その間コーチとして、1987年ワールドジュニアユース優勝、1988年欧州選手権準優勝、同年ソウルオリンピック金メダル獲得などに貢献した[1][3]。

ロシア以降

1999年、当時トップディヴィジョン(2部リーグ)だったFCアンジ・マハチカラの監督に就任するといきなり優勝してトップリーグ(1部リーグ)へ昇格[1]。さらに翌シーズンには4位入賞を果たしてUEFAカップ出場権を獲得、同年にはロシア最優秀監督に選出された[1][3]。

2002年、その実績を買われヴァレリー・ニポムニシから推薦を受け、Jリーグ・サンフレッチェ広島の監督に就任[3][4]。しかし自身初の海外での指揮であったこともあり、チームとのコミュニケーション不足からチーム方針の相違[注 1]や補強の失敗[注 2]や選手との軋轢[注 3]を生み、さらに主力の長期離脱[注 4]や不調もあいまってチームは下位に低迷した。同年7月、シーズン途中に事実上解任された[注 5][4]。

2003年、プレミアリーグから1部リーグに降格した古巣・アンジの監督に復帰[1] するものの昇格を果たせず1年で退団。翌2004年からクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ監督を務め、同年のロシア・カップでは準優勝した[1]。

2007年5月からサトゥルン・ラメンスコーエ監督に就任すると下位に低迷していたチームをいきなり5位にまで上げ、チームを初のUEFAインタートトカップ出場に導く。同シーズンロシア最優秀監督となる。翌2008年は下位に低迷し、8月にロシアカップで早期敗退したのを機に解任された[1]。

2010年、7年ぶりにアンジの監督に復帰する。翌2011年1月、チームは大富豪スレイマン・ケリモフ(ロシア語版)がオーナーとなり、ロベルト・カルロスやサミュエル・エトーらビッグネームを獲得、同年9月にチーム成績が平凡なことから監督にもビックネームを招集することが決定しガジエフは解雇された[10]。

2012年6月、この年からリーグ秋冬制となるロシア・プレミアリーグのFCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド監督に就任した[11]。同年12月、引き抜かれる形で同リーグのクリリヤ・ソヴェトフ監督に復帰した[12]。

2013年8月、2年ぶりにアンジの監督に復帰[13]、4度目の就任となった。このシーズン、アンジは緊縮財政で挑んでおりエトオやウィリアン、ラッサナ・ディアッラ、ラシナ・トラオレなど主力が移籍売却された中での監督就任だった。結果、一度も浮上することなく最下位に沈み、シーズン終了後ファーストディヴィジョン(2部)に降格、2014年5月責任を取る形で辞任した[14]。

2015年、FCアムカル・ペルミは成績不振からスラヴォルユブ・ムスリン(英語版)監督を解任し、後任としてガジエフが監督に就任した[15]。

監督成績

年度チーム所属大会名試合数勝点勝利引分敗戦順位ナビスコ杯天皇杯
2002サンフレッチェ広島J11st87215-位予選リーグ敗退-

ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks