ガブラ (清)
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『欽定八旗満洲氏族通譜』によると、 「ソニンの長子ガブラは、はじめ領侍衛内大臣兼佐領を務めた。聖祖仁皇帝(康熙帝)は、ガブラが孝誠仁皇后の父であることから、特別に恩典を賜り、一等公に封じ、太子少保を加官した。死後は典礼に則り祭葬を賜い、諡号を“恪僖”とし、墓道に碑を立てた。」とある。
(『聖祖仁皇帝御製文集』巻五および『清聖祖仁皇帝実録』に同じ) また、康熙13年12月8日の康熙帝の勅諭には、
「吏部に諭して曰く:自古より帝王が天下を統御するには、必ず后妃の徳を資として政を補佐せしむ。宮中の規範は、王化の根源である。往代を考えるに、中宮を冊立するごとに、その生家にも恩典を加え、爵位を栄封した。これは内治を重んじ、恩礼を隆盛に示す重大な典である。顧みれば、仁孝皇后は朕に配し十年を歴え、太皇太后・皇太后に事え、至誠孝を尽くし、朕を助けて政を理め、敬勤・節倹を以て身を持し、寛仁にして下を遇し、儀容模範に備わり、淑徳は世に著われた。いかに図らん、忽焉として崩逝し、朕は深く悼み、すでに礼を行ったが、なお推恩の典は未だ行われていない。内大臣ガブラは仁孝皇后の父にして、勲旧の世裔、素より忠貞に篤く、夙夜に衛を翊け、謀略は重きをなす。ここに太皇太后の慈諭を奉じ、仁孝皇后は名門に生まれ、内則に昭著たりしも、芳儀永く謝し、時に悲思を切にす。思うに后徳の彰る所は、実に祥瑞を鍾する所以あり。宜しく崇秩を加えて、旧章に合すべし。朕は恪しく慈命を遵み、特に殊恩を賜う。ガブラをして一等公に封じ、誥命を給し、世襲罔替とせよ。汝部はすなわち諭旨に従い行うべし。」
とある。
康熙20年(1681年)9月18日にガブラが重病に臥すと、康熙帝は侍衛のウゲ(武格)に御医を帯びて見舞わせた。ガブラが逝去すると、さらに一等侍衛フィヨーセ(費耀色)と三等侍衛スダ(蘇達)を遣わし、恤銀五千両・駱駝四頭・騾馬二頭・鞍馬三匹・散馬七匹を賜与した。
康熙20年(1681年)9月22日、康熙帝の勅諭には、
「礼部に諭して曰く:古の帝王は倫常を重んじ、勲戚に恩を推した。生前には顕栄を加え、没後には必ず優恤を存す。往代の旧典を考えても明らかである。今、孝誠仁皇后の父・領侍衛内大臣公ガブラは、簮纓の世裔にして、累朝に力を宣し、身を恭謹に持し、忠勤にして職に奉じた。忽ち訃音を聞き、朕は深く懐を痛む。いかなる恩恤を施すべきか。例を察し、優に議奏せよ。」
とある。
康熙20年(1681年)10月5日。康熙帝は、故領侍衛内大臣・一等公ガブラに対し、祭葬を賜い、さらに三度の加祭を行い、諡号を「恪僖」とした。