ガブリエル・フォン・ハックル
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旧シュタイアーマルク公国(現在はシュタイエルスカ地方)のマールブルク・アン・デア・ドラウに外科医の息子として生まれる。地元のギムナジウムやグラーツの公立学校に学ぶ。父親の希望を容れてウィーン大学に進学し、解剖学や考古学、デッサンを修める。1865年にミュンヘンに移り、ミュンヘン美術院にてアレクサンダー・ヴァグナーやカール・フォン・ピロティに師事する。その後ミュンヘン美術工芸学校に職を得て[1]、ゾフィー・シュミットと結婚した。
1878年に母校ミュンヘン美術院の教員になり(〜1919年)、デッサンの講義を担当した。同僚にフランツ・フォン・シュトゥックやヴィルヘルム・フォン・ディーツらがいる。1896年には、ミュンヘン芸術家協同組合の支部である「ルイトポルト・グループ」の一員となった。同グループには、総裁のフーゴー・ビュルゲルやヴァルター・フィルレ、フリッツ・ベーア、カール・マール、ヨハン・シュペアル、ヴィルヘルム・ライブルらが参加していた[2]。

ハックルの門人には芸術面で成功を収めた者もいたものの、本人は画業で不朽の名声を得るには至らなかったが、その作品はたまにオークションに登場することがある[3]。
主要な門下生
- 1880年〜: ピウス・フェルディナント・メッサーシュミット
- 1884年〜: アルビン・エガー=リーンツ、アントン・アズベ
- 1885年〜: マックス・スレーフォークト
- 1887年〜: リヒャルト・リーマーシュミット
- 1888年〜: レオ・プッツ
- 1889年〜: ヴィルヘルム・テニー
- 1891年〜: ハンス・フォン・ハイエク
- 1897年〜: ハンス・プアマン
- 1900年〜: フランツ・マルク
- 1905年〜: オットー・オーバーマイアー
- 1906年〜: アルフォンス・ツァイライス
- 1914年〜: ヘンリー・アイヴズ・コブ2世