キューガーデン
世界最大の資料を収蔵するイギリスの植物園
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概要
植物園はロンドンの中心部から南西に位置するリッチモンドとキューの中間に設けられている。いまや公園ではなく、大規模な研究施設である。古くからカーティス・ボタニカル・マガジンを出版している。
1948年から2012年9月にわたる歳月をかけて『熱帯東アフリカの植物誌』(英: Flora of Tropical East Africa) を編纂した。ウガンダ・ケニア・タンザニア3カ国の植生を網羅したこの事業は12100種を収録、263巻という大ボリュームである。
キューガーデンは植物に関する情報をウェブで公開し普及に努めている。東南アジアについてライデン植物園と情報を共有するなど、ネットワーク自体の拡大も推進している。他の国際的研究機関とも協力して世界的な植物誌の完成をめざす。さらに、種子銀行としてのミレニアム・シード・バンク・プロジェクトを主導する。
過去には、ジョゼフ・バンクスやジョセフ・ダルトン・フッカーなどが園長を務めた。
園内には鉄骨造のガラス温室の「パーム・ハウス」と「テンパレート・ハウス」、オレンジェリー、クイーン・シャーロット・コテージ、フォリーの寺院、ツツジの「デル」、グレート・パゴダ、植物標本館など歴史的建造物が点在し[2]、4棟がイギリス指定建造物1級に指定されている。
歴史
キュー・ガーデンズの歴史はテュークスベリーのケープル卿が熱帯植物を集めた庭を作ったことに始まる。その後この庭はジョージ2世の長男フレデリック皇太子の未亡人であるオーガスタ妃によって拡張され、ウィリアム・チェンバーズの設計による建築物が何棟か建てられた。そのうちの1つである1761年建造のグレート・パゴダは今日も残されている。
ジョージ3世はウィリアム・エイトンやジョゼフ・バンクスに命じてさらに庭園の植物を豊かなものにさせた。旧キュー・パークは1802年に廃止され、1781年にジョージ3世は隣接するダッチ・ハウスを買い上げて、王室の子供達を育てる施設とした。この建物は現在キュー宮殿として残されている。
1840年に庭園は国立の植物園と改組された。ウィリアム・ジャクソン・フッカーの指揮のもとで植物園は30ヘクタールにまで拡張され、さらに後の改修で現在の120ヘクタールの敷地が完成した。
イギリス植民地政策とキューガーデン
日本庭園と日本の桜
王立植物園内には、5000平方メートルに及ぶ日本庭園がある。日本庭園には1910年にロンドンで開催された日英博覧会向けに造られた勅使門がある[3]。勅使門は京都・西本願寺の唐門のレプリカで、大きさは実物の5分の4程度となっている。
植物園には、1980年(昭和55年)に日本花の会から贈られた松前系[注 1]の八重桜53本が植樹されている[4]。また1993年(平成5年)には、多くの松前系の八重桜を生み出した浅利政俊から58品種の桜がウィンザー大公園と共に贈られて植樹され、このうち56品種が活着している。そしてキューガーデンやウィンザー大公園が起点となって、これらの桜がイギリス各地に広まっている。これらの品種のうちベニユタカ(紅豊)やリュウウンインベニヤエザクラ(龍雲院紅八重桜)など19品種は王立園芸協会のガーデン・メリット賞に選ばれている[5][6]。
