キルナ市電
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19世紀末(1890年代)以降、鉄鉱石を採掘する鉱山の開発が本格的に進行し始めたキルナでは、LKABの初代社長であったヤルマー・ルンドボームの主導のもと、労働者を始めとした人々が暮らす都市計画が進行していた。その中で1900年代に入ると、鉱山から都市までの移動距離が長い事が課題となり、労働者の足となる公共交通機関が求められるようになっていた。そこで、市内の電化が早期に進んでいた事から電気を用いて走る路面電車の導入が決定し、1904年から工事が実施された後、1907年に全長2.3 km、軌間1,000 mmの路線が営業運転を開始した。開業時に導入された車両は、電動車2両と付随車4両であった[1][3][4]。
その後は路線の延伸が実施され、1916年にはシュカルガタン(Stallgatan)から分岐する支線も開通し、1921年の更なる延伸により「トゥーレ線(Thulelinjen)」とも呼ばれるようになった。本線についても各地の鉱山地帯へ向けた延伸が行われ、1925年時点の総延長は6.16 km(本線:4.60 km、トゥーレ線:1.56 km)となった。車両についても増備が実施され、1940年まで新造車両が導入され続けた[3][2]。
だが、第二次世界大戦後の1950年代に入るとモータリーゼーションの進展に加えて車両や施設の老朽化が課題となり、最終的に路面電車を路線バス(ディーゼルバス)へ置き換える事が決定した。そして支線にあたるトゥーレ線が1955年に廃止され、本線についても1958年5月29日をもって営業運転を終了した。運営組織については、全廃前年の1957年にLKABからキルナ・トラフィーク(Kiruna Trafik AB)へ移管されている[1][3][5][7]。
その後、使用されていた車両のほとんどは焼却処分されたが、一部は保存された他、倉庫や別荘など様々な用途に再利用された車両も存在した。これらのうち、電動車2両(M1、M3)や付随車(C3)、電気機関車(5)など一部車両について、復元工事が実施された後に1984年からキルナに新設された博物館用の保存路線で動態保存運転が実施されたが、利用客が低迷した事で1993年に終了しており、以降は各地で静態保存が行われている[3][5][8]。