クラウス・ワラス

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リングネーム クラウス・ワラス
本名 Klaus Wallas
身長 189cm - 190cm[1]
体重 110kg - 118kg[1]
クラウス・ワラス
プロフィール
リングネーム クラウス・ワラス
本名 Klaus Wallas
身長 189cm - 190cm[1]
体重 110kg - 118kg[1]
誕生日 (1953-03-31) 1953年3月31日(71歳)[1]
出身地  オーストリア
ザルツブルク州の旗 ザルツブルク州
ツェル・アム・ゼー郡
スポーツ歴 柔道
デビュー 1978年[1]
引退 1986年[1]
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獲得メダル
 オーストリア
柔道
フランス国際
1976 パリ重量級

クラウス・ワラスKlaus Wallas1953年3月31日 - )はオーストリア柔道選手、プロレスラーザルツブルク州ツェル・アム・ゼー郡出身。

柔道時代の階級は重量級。得意技は足技[2][3][4]プロレス転向後は地元のオーストリアやドイツを主戦場に活動した。

柔道家時代

1972年ヨーロッパジュニア軽重量級で優勝[3]。その後、階級を重量級に上げると、1976年にはフランス国際で3位に入賞した[3]。この大会の準決勝で、当時東海大相模高校3年生だった山下泰裕と対戦[5]。得意の足技である小内刈で効果を取った後、出足払で主審から一旦は「一本」を宣せられたが、2名の副審が「技あり」と訂正したため勝利は取り消され、横四方固で逆転の一本負けを喫した[5]。なお、対外国人選手116戦無敗の山下から技でポイントを挙げたことのある外国人は、このワラスの他に、それぞれ効果を取ったソビエトアレクセイ・チューリンフランスローラン・デル・コロンボの3名しかいない[2][4]

同年のモントリオールオリンピックでは重量級と無差別級の2階級にエントリーしたが、重量級では3回戦でアメリカアレン・コージ谷落の有効で敗退。無差別でも3回戦でアルゼンチンのホルヘ・ポルテリに崩上四方固で敗れた[2]。世界軍人選手権大会では重量級で2位、無差別で3位の戦績を収めている[3]

プロレス転向後

1978年プロレスラーに転向すると、ドイツローラン・ボックが日本からアントニオ猪木を招聘してプロモートした欧州世界選手権シリーズ "Inoki Europa Tournee 1978(イノキ・ヨーロッパ・ツアー1978)" に出場[5]。ツアーではミレ・ツルノジョニー・ロンドス、猪木に同行していた藤原喜明らと対戦し、ウィレム・ルスカとの柔道ジャケットマッチも行われた[6]

1983年にはオイゲン・ウィスバーガーを破り欧州ヘビー級王座を獲得[5]。同年はハノーバー・トーナメントにおいてもアクセル・ディーターと同率で優勝[7]1984年にはオットー・ワンツスティーブ・ライトエド・ウィスコスキーボブ・ダラセーラなどを抑えて単独優勝を果たした[5]

1985年2月、全日本プロレスに初来日。タッグマッチではハーリー・レイスブルーザー・ブロディのパートナーに起用され、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビとも対戦した[8]1986年5月には新日本プロレスIWGPリーグ戦に参戦[9]。予選リーグでは猪木、藤原、坂口征二木村健吾アンドレ・ザ・ジャイアントマスクド・スーパースターと対戦したが、6戦全敗とジョバー役を務めるにとどまった[4]。一方で、同年のワールド・ストロンゲストマン・コンテストでは6位入賞を果たしている[4]

その後、欧州では地元オーストリアCWAにおいて、1986年7月から9月にかけてブル・パワーとの連戦が行われたが、同年に現役を引退[6]。以降は単発的にリングに上がり、1991年10月10日にウィーンで開催されたイベントではアイアン・マイク・シャープから勝利を収めた[10]1992年12月1日にブレーメンで行われたCWAのショーではマッド・ブル・バスター(ピットブル2号)とタッグを組み、ランボー&フランツ・シューマンと対戦している[11]

主な戦績

脚注

外部リンク

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