クラウディオ・タファレル

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クラウディオ・タファレル(Cláudio André Mergen Taffarel, 1966年5月8日 - )は、ブラジルリオグランデ・ド・スル州サンタローザ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。元ブラジル代表。優れたPKストッパーとして知られていた[2]セリエA史上初の外国籍GKであった[3]

本名 クラウディオ・アンドレ・メルゲン・タファレル
Cláudio André Mergen Taffarel
ラテン文字 TAFFAREL
生年月日 (1966-05-08) 1966年5月8日(60歳)
概要 クラウディオ・タファレル, 名前 ...
クラウディオ・タファレル
名前
本名 クラウディオ・アンドレ・メルゲン・タファレル
Cláudio André Mergen Taffarel
ラテン文字 TAFFAREL
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1966-05-08) 1966年5月8日(60歳)
出身地 サンタローザポルトガル語版
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1990 ブラジルの旗 インテルナシオナル 252 (0)
1990-1993 イタリアの旗 パルマ 79 (0)
1993-1994 イタリアの旗 レッジャーナ 31 (0)
1995-1998 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 191 (0)
1998-2001 トルコの旗 ガラタサライ 129 (0)
2001-2003 イタリアの旗 パルマ 8 (0)
代表歴2
1985  ブラジル U-20 6 (0)
1988  ブラジル 五輪 6 (0)
1988-1998 ブラジルの旗 ブラジル [1] 104 (0)
監督歴
2004-2005 トルコの旗 ガラタサライ (コーチ)
2011-2016 トルコの旗 ガラタサライ (コーチ)
2014- ブラジルの旗 ブラジル (コーチ)
2015 トルコの旗 ガラタサライ (暫定)
2018-2019 トルコの旗 ガラタサライ (コーチ)
2021- イングランドの旗 リヴァプール (コーチ)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1988 ソウルサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月21日現在。
2. 2014年11月21日現在。
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ブラジル代表GKとして最多出場記録を持っている[4]。現在は、ブラジル代表とリヴァプールFCのGKコーチを兼務している[5]

クラブ経歴

1984年SCインテルナシオナルでデビュー。

1990年パルマACへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[6]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、3人しか無い外国人枠を、どうしてわざわざGKに使うのか、獲得を疑問視する声も多かったが、この年パルマの全68試合全てに出場[7]コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。1991-92シーズン、チームは8本のPKを献上したが、このうちの半分をストップしてみせた[2]。1992-93シーズン、新たにアスプリージャが加入すると、ブローリングルンが殆どの試合で起用され、外国人枠の問題で出場機会を6試合にまで減らした[7]。1993-94シーズンはACレッジャーナに移籍、レギュラーとしてプレーした[7]

ワールドカップ後は暫く移籍交渉がまとまらず、フリーであったが[2]1995年にはアトレチコ・ミネイロへ加入、1998年にはガラタサライSKへ移籍、UEFAカップの優勝などに貢献した[7]

2001年にはジャンルイジ・ブッフォンが移籍した事によりパルマへ復帰し[7]セバスティアン・フレイに次ぐ第2GKを務めた[7]。このシーズン、リーグ戦では6試合の出場に留まったが、コッパ・イタリアでは、決勝のユヴェントス戦を含め、全8試合に出場し、優勝を果たした[7]。翌2002-03シーズン終了後に現役を引退した[7]

現役引退後は古巣ガラタサライのゴールキーパーコーチに就任。2014年11月、チェーザレ・プランデッリの解任を受け、ガラタサライの暫定監督を務めた[8]。現在はGKコーチを務めている[4]

代表経歴

1988年7月7日オーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年イタリアW杯でベスト16に終わったものの、全試合出場を果たした。

1994年アメリカW杯では、正キーパーとして全試合でゴールマウスを守り、イタリアとの決勝戦ではPK戦ダニエレ・マッサーロのPKを止め、フランコ・バレージロベルト・バッジョの失敗を誘い、優勝に貢献した[2]

決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。

それから代表からはしばらく遠ざかっていたが、トルコでの活躍を買われ、1998年フランスW杯の代表に選出された。本大会でも準決勝オランダ戦で2本のキックをストップしてPK戦を制し、勝利に貢献した[2]決勝戦では地元フランス相手に3失点し、準優勝に終わった。

ブラジル代表GKとして最多出場記録を保持し、W杯通算18試合出場もGKとしては最多記録[4]

2018 FIFAワールドカップ・ブラジル代表GKコーチ、ガラタサライGKコーチ兼任。

エピソード

トルコでは長友佑都と同じマンションに住み、まだ車が無い長友を自らが運転する車に同乗させ、クラブハウスまで連れて行っていた。[4]。また長友に本格的なイタリア料理をふるまい、長友はその料理を「びっくりするほど美味しかった」と振り返っている[9]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 101試合 0得点(1988年-1998年)[10][1]
さらに見る ブラジル代表, 国際Aマッチ ...
ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
198870
1989160
199070
1991100
199220
1993150
199490
199550
199600
1997150
1998150
通算1010
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脚注

関連項目

外部リンク

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