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サッカーアルゼンチン代表

アルゼンチンの男子サッカーナショナルチーム From Wikipedia, the free encyclopedia

サッカーアルゼンチン代表(サッカーアルゼンチンだいひょう、スペイン語: Selección nacional de fútbol de Argentina)は、アルゼンチンサッカー協会(AFA)によって構成されるアルゼンチンのサッカーのナショナルチーム。

国または地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
愛称 La Selección (選抜)
Albicelestes (白色と空色)
Gaucho (ガウチョ)
概要 サッカーアルゼンチン代表, 国または地域 ...
サッカーアルゼンチン代表
国または地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
協会 アルゼンチンサッカー協会
FIFAコード ARG
愛称 La Selección (選抜)
Albicelestes (白色と空色)
Gaucho (ガウチョ)
監督 アルゼンチンの旗 リオネル・スカローニ
最多出場選手 リオネル・メッシ(207試合)
最多得点選手 リオネル・メッシ(125得点)
ホームスタジアム エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1901年5月16日対ウルグアイ
3-2
最大差勝利試合 1942年1月22日対エクアドル
12-0
最大差敗戦試合 1958年6月15日対チェコスロバキア
1-6
2009年4月1日対ボリビア
1-6
2018年3月28日対スペイン
1-6
1993年9月5日対コロンビア
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 19回(初出場は1930)
最高成績 優勝 (1978, 1986, 2022)
コパ・アメリカ
出場回数 44回
最高成績 優勝 (1921, 1925, 1927, 1929, 1937, 1941, 1945, 1946, 1947, 1955, 1957, 1959, 1991, 1993, 2021, 2024)
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ホームスタジアムは、首都ブエノスアイレスにあるエスタディオ・モヌメンタル。

概要

FIFAワールドカップで優勝経験のある8つのナショナルチームの1つであり、これまでに同大会で優勝3回・準優勝4回の戦績を残している世界屈指の強豪国である。

コパ・アメリカでも大きな成功を収めており、最多となる16回の優勝を誇る。FIFAコンフェデレーションズカップではキング・ファハド・カップ(前身大会)時代の1992年に優勝し、夏季オリンピックではアテネオリンピックと北京オリンピックで2連覇を果たした[1]。パンアメリカン競技大会では、1951年大会、1955年大会、1959年大会、1971年大会、1995年大会、2003年大会の6回優勝している。

FIFAランキングで首位に立った経験のある8つのナショナルチームのうちの1つでもある。2007年3月、同ランキングで初めて1位となり[2]、ドイツ、ブラジル、イタリア(いずれも1993年)、フランス(2001年)に次いで1位を獲得した5ヶ国目の国となった。1978 FIFAワールドカップの際に初めて非公式サッカー世界王者となり、その後も何度か1位を獲得している。

1990年代初めまでは、名前のアルファベット順に背番号を割り当てるという世界でも珍しい伝統があった。

歴史

初期

記録に残る当代表の初試合は、1901年5月16日にウルグアイとの間で行なわれ[3]、3-2で勝利した。代表結成後最初の数年間は、南米の国との親善試合のみが行なわれたが、1906年にコパ・リプトンという大会が開催され、ウルグアイを破って初の公式タイトルを獲得した[4]。1916年には南米サッカー連盟(CONMEBOL)が組織され、同年に第1回南米選手権(現在のコパ・アメリカ)が自国開催されたがウルグアイが優勝、1921年の第5回南米選手権も自国開催となり、初優勝した。

アムステルダム五輪で銀メダルを獲得したアルゼンチン代表

1924年に行われたウルグアイとの親善試合では、セサレオ・オンサーリがコーナーキックを直接ゴールに決めた。このプレーはゴル・オリンピコ(オリンピック・ゴール)と呼ばれ、現在でも同様のプレーはオリンピック・ゴールと呼ばれている[5]。3度目の自国開催となった、1925年の南米選手権は、2度目の優勝を飾った。1928年開催されたアムステルダムオリンピックは当代表が南米以外の国に赴いて出場した初の国際大会となった。決勝はウルグアイとの南米対決となり、再試合(初戦は1-1)に1-2で敗れ銀メダルを獲得した。1929年には再び南米選手権の開催国となって2連覇を達成。

1930年、国際サッカー連盟(FIFA)は第1回FIFAワールドカップを組織し(開催国ウルグアイ)、13ヶ国が招待(アルゼンチン含む)。決勝のウルグアイ戦に敗れて準優勝に終わったが、8得点を挙げたギジェルモ・スタービレが初代得点王となった。第二次世界大戦で中立的な立場を宣言、1934年にイタリアで開催された第2回大会は1回戦敗退、1938年にフランスで開催された第3回大会には出場しなかった。

第二次世界大戦後

1950年、第二次大戦後初のFIFAワールドカップがブラジルで開催されたが、ブラジルサッカー協会との対立から参加を取りやめた。1954年の1954 FIFAワールドカップの参加も辞退したが、1930年代から1950年代にかけて、南米選手権では7大会で優勝。いずれの大会でもスタービレが監督を務めた。1958年にスウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップには24年ぶりに出場したが、低調なプレーでグループリーグ敗退に終わった。1959年には第12回南米選手権に出場して優勝。19年間指揮を執ったスタービレの監督退任後、1991年にアルフィオ・バシーレ監督の下で優勝するまで、30年以上も南米選手権/コパ・アメリカでは優勝できなかった。

アルゼンチン代表(1964年)

1960年にはパンアメリカン選手権(英語版)に出場して初(そして唯一の)優勝を飾った。チリで開催された1962 FIFAワールドカップでは終始低調なプレーとなって早期敗退に終わり、1963年の南米選手権では3位に終わった。1964年にはブラジルサッカー協会創設50周年を記念した親善大会であるリトル・ワールドカップ(英語版)で優勝し、このタイトルは当代表が獲得した「初の偉大なタイトル」とされている[6]。1966 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国イングランドに敗れた。この試合ではミッドフィールダーのラティンが退場処分を受けたが、ラッティンは処分に激怒して不適切な行為を行い、この試合で起こった出来事がイングランドとのライバル関係の発端となった。ラティンの行為がカード導入のきっかけのひとつとなり、1970 FIFAワールドカップではFIFAワールドカップの舞台で初めてイエローカードとレッドカードが使用された。1967年の南米選手権は準優勝に終わり、1970 FIFAワールドカップはペルーの後塵を拝し、初めて南米予選で敗退した。

1974 FIFAワールドカップで2次リーグ敗退を喫すると、アルゼンチンサッカー協会(AFA)は国内サッカーの変革を強いられ、セサル・ルイス・メノッティが新監督に就任。自国開催に向けた長期スパンでの準備を開始したが、1975年のコパ・アメリカ1975(名称変更後第1回大会)はグループリーグ敗退となった。自国開催された1978 FIFAワールドカップ本大会ではグループ2位で2次リーグ進出を決め、2次リーグでは得失点差で決勝進出を決めた。エスタディオ・モヌメンタルで行なわれた決勝ではオランダと対戦し、3-1で勝利してFIFAワールドカップ初優勝を飾った。ケンペスは6得点で得点王に輝いただけでなく、大会最優秀選手にも選出された。オランダとはAマッチで10度対戦しているが、勝利はこのときが唯一である(2026 FIFAワールドカップ終了時点)。

1979年にはコパ・アメリカ1979に出場したが、グループリーグ最下位で敗退した。同年にはU-20代表がFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。このチームの監督もメノッティであり、中心選手としてディエゴ・マラドーナやラモン・ディアスなどがいた。1981年にはウルグアイで開催されたスモール・ワールドカップに出場したが、グループリーグで敗退した。

マラドーナの時代

マルビナス紛争の停戦宣言が出されたのは、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ大会期間中である。2次リーグ敗退後にメノッティが監督を退任したが、メノッティ指揮下でA代表とユース代表それぞれが世界王者となった。長期的なスパンの計画を実行したのはメノッティ監督時代が初めてだった[7][8]。

アルゼンチン代表を優勝に導いたマラドーナ

後任監督にはカルロス・ビラルドが就任したが、就任後すぐのコパ・アメリカ1983は早期敗退した。1986 FIFAワールドカップでは前評判は高くなかったものの、グループ首位で決勝トーナメント進出を決め、準々決勝のイングランド戦ではマラドーナが「神の手」ゴールと「5人抜き」ゴールを決めて勝利した。4年前にマルビナス諸島を奪われていた経緯があったため、この勝利は祝福された[9]。準決勝ではベルギーを下し、決勝では西ドイツを下して2度目の優勝を果たした。活躍を見せたマラドーナは5得点を挙げて大会最優秀選手賞を受賞した[10][11]。

1987年に自国開催されたコパ・アメリカ1987ではウルグアイに敗れて敗退。ブラジルで開催されたコパ・アメリカ1989でも良いところなく敗退した。1990 FIFAワールドカップは前回大会優勝国枠で出場し、前評判の低さにもかかわらず勝ち進んだ。FIFAワールドカップ本大会の舞台で初めてブラジルに勝利した決勝トーナメント1回戦は、歴史上もっとも輝かしい瞬間のひとつとされている[12][13]。準々決勝ではユーゴスラビアをPK戦で下し[14]。準決勝では開催国のイタリアをPK戦で下したが、決勝の西ドイツ戦には疑惑のPKによって敗れた[15][16]。

大会後にはアルフィオ・バシーレが就任し、コパ・アメリカ1991では32年ぶり13回目の優勝を飾り、6得点のガブリエル・バティストゥータが得点王となった。1992年にはキング・ファハド・カップ1992(FIFAコンフェデレーションズカップの前身大会)に出場して優勝。同年にはエクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に出場して2連覇を果たした。これ以後優勝を逃し続けており、優勝回数は14回で止まっている[17]。1994 FIFAワールドカップではオーストラリアとの大陸間プレーオフ経由で出場を決め、アメリカで開催された本大会グループリーグでは2連勝したが、マラドーナがドーピング違反を行って大会から追放されると、決勝トーナメントではルーマニアに敗れて大会から去った。

過渡期

1995年にはキング・ファハド・カップ1995に出場したが、決勝でデンマークに敗れて優勝を逃した。同年のFIFAワールドユース選手権ではマラドーナ時代以来となる優勝を果たし、この大会ではその後も1997年、2001年、2005年、2007年に優勝している。オーバーエイジ制度が導入されたアトランタオリンピックでは、決勝でナイジェリアに敗れたものの銀メダルを獲得した。フランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグを無失点の3連勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではイングランドにPK戦で勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。なお、この大会で日本が初出場し、ワールドカップで日本と最初に対戦したのがアルゼンチンである。

2002 FIFAワールドカップ・南米予選では首位で本大会出場を決め、2002 FIFAワールドカップ開幕前の前評判は高かったが、日本と韓国で共催された本大会では「死の組」に組み込まれ、ライバルのイングランドに敗れるなどしてグループリーグ敗退に終わった。2004年のアテネオリンピックでは、国際大会史上初となる全試合無失点で金メダルを獲得した。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したが、決勝でブラジルに敗れて準優勝に終わった。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国のドイツに敗れた。コパ・アメリカ2007では決勝まで進んだが、決勝ではブラジルに0-3で敗れて準優勝に終わった。

メッシの登場

2008年の北京オリンピックにはリオネル・メッシなどが出場し、グループリーグから6連勝を記録して再び金メダルを獲得した。2010 FIFAワールドカップに先立ってマラドーナが監督に就任すると、南アフリカで開催された本大会ではグループリーグを3戦全勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではメキシコに勝利したが、準々決勝のドイツに0-4で敗れて大会から去った。コパ・アメリカ2011ではウルグアイと対戦した準々決勝に敗れ、セルヒオ・バティスタ監督が解任されてアレハンドロ・サベーラが新監督に就任した。

2014年のワールドカップブラジル大会では、南米予選を首位で突破して出場権を獲得した。攻撃陣にメッシ、アグエロ、イグアイン、ディ・マリアといった世界クラスの選手を擁し、大会前から、開催国であるブラジル、前回王者であるスペイン、そしてドイツと並ぶ優勝候補の一角に数えられた。グループステージではエースのメッシが全試合でゴールを挙げる大活躍で3連勝し、決勝トーナメントに進出した。しかし、一転して決勝トーナメントでは攻撃陣が機能せず苦戦を強いられた。しかし、安定した守備がこれを支え、無失点で決勝進出を決めた。決勝ではドイツと対戦して互角の戦いを見せ、延長戦にもつれ込んだが延長後半に失点し、準優勝に終わった。メッシはこの大会のMVPに輝き、大会後にサベーラ監督は辞任した。

W杯後はヘラルド・マルティーノが監督に就任。コパ・アメリカ2015では2大会ぶりに決勝に進んだが、決勝では延長戦とPK戦の末にチリに敗れ準優勝に終わった。コパ・アメリカ・センテナリオでは3年連続となる国際大会での決勝進出を果たしたが、前大会の雪辱戦となったチリ相手に再びPK戦で敗れ3大会連続の準優勝となった。また、決勝前に主将のメッシが自国のサッカー協会の職務怠慢ぶりを批判し、大会後はメッシを始めとする主力が次々と代表引退を示唆するなどの騒動に発展した。大会の翌日、セグーラ会長はFIFAから不正疑惑を追及され辞任した。

アルゼンチン代表(2018年)

2018 FIFAワールドカップ・南米予選では苦戦が続き、第17節でペルーとスコアレスドローで引き分け、大陸間プレーオフ圏外の6位までに転落し、1970 FIFAワールドカップ以来48年ぶりの予選敗退の危機に陥った[18]。エクアドルとアウェーで対戦した最終節ではエクアドルに先制されたものの、メッシが3得点のハットトリックを挙げて予選3位で本大会出場を果たしたと同時に、エクアドルとのアウェー戦では、2002 FIFAワールドカップ・南米予選以来の勝利を挙げた[19]。

予選での苦戦ぶりから下馬評が高くない状況で2018 FIFAワールドカップ本大会に突入。グループステージ初戦では初出場のアイスランド戦では1-1のスコアで引き分け、続くクロアチア戦では0-3で敗れグループ最下位に転落、続くナイジェリア戦でメッシが初ゴールを挙げて勝利し、2位での突破を決めたものの、第2戦終了の時点で監督を務めるホルヘ・サンパオリの手腕に批判が向けられたり、またアグエロと監督の確執やチームの空中分解が噂された。ラウンド16ではフランスと対戦、この試合でアルゼンチン代表は3得点をあげたもののキリアン・エムバペを中心としたフランスの攻撃陣に苦戦し、最終的に3-4で敗れベスト16で敗退が決まった。

スカローニ体制

コパ・アメリカ2021では決勝まで無敗をキープし、ブラジルとの決勝戦では、ディ・マリアの先制ゴールを守り切り優勝した。これはメッシにとっての記念すべき代表初タイトルであり、チームとしては11大会ぶり15回目の優勝となった[20]。

2022 FIFAワールドカップで優勝に導いたリオネル・メッシ

2022 FIFAワールドカップはグループCに入り、サウジアラビア、メキシコ、ポーランドと同組になった。初戦のサウジアラビア戦では前半に得たPKをリオネル・メッシが決めて先制するが、後半にサレー・アル=シェフリとサーレム・アッ=ドーサリーのゴールで2点を奪われて1-2で逆転負けを喫し、まさかの黒星スタートとなった[21]。 2戦目のメキシコ戦では後半にメッシが先制ゴールを決め、試合終了間際にもエンソ・フェルナンデスがCKから追加点を奪い取って決勝トーナメント進出に近づく[22]。 負ければグループステージ敗退が決まる3戦目のポーランド戦ではアレクシス・マカリステルが後半開始数秒で先制ゴールを決めると、フリアン・アルバレスも追加点を奪いグループ首位で決勝トーナメント進出を決めた[23]。

決勝トーナメント1回戦は2006年大会以来16年ぶりのベスト16入りとなったオーストラリアと対戦。この試合でキャリア1,000試合目の出場となったメッシが得点し、アルバレスの追加点で2点のリードを得た。試合終盤にオウンゴールを献上したものの2-1で逃げ切ってベスト8入りを決めた[24]。 準々決勝はグループAを1位通過したオランダと対戦。ナウエル・モリーナとメッシが得点して2-0とするが、83分にボウト・ベグホルストによって1点を返されると、勝利目前の90分+11分にもベグホルストのゴールで同点にされ、延長戦でも決着はつかずPK戦へ。4人がPKを成功させてベスト4入りを決める[25]。 準決勝は前回大会準優勝のクロアチアと対戦。前半にメッシとアルバレスがゴールを決めて前半を2点リードで折り返すと、後半にもアルバレスが3点目を奪って決勝進出を決めた[26]。

決勝は前回大会優勝のフランスと対戦。前半にメッシとディ・マリアがゴールを決めるが、試合終盤にキリアン・エムバペにPKを決められるとその2分後にもエムバペにボレーシュートを決められて同点にされる。2-2のまま試合は延長戦に突入し延長後半にメッシが3点目を決めて再びリードを奪うが、優勝まであと僅かに迫ったその10分後に味方のハンドによりフランスにPKが与えられ、それをエムバペが沈めて3-3の同点となり優勝を賭けた最終決戦はPK戦に突入。フランスは2人目、3人目が連続でPKを失敗。アルゼンチンはメッシを含む4人が成功。最後はゴンサロ・モンティエルがPKを成功させ、1986年大会以来36年ぶり3回目のワールドカップ制覇を達成した。これによりメッシは悲願のワールドカップ初優勝を果たし、大会を通じて7得点3アシストの成績を残したことにより、史上初となる二度目の大会MVPに輝いた[27][28]。W杯優勝以降も好調を維持するアルゼンチン代表は、親善試合を4試合連続で複数得点かつ無失点で快勝し、2026年W杯に向けた南米予選に突入した。

コパ・アメリカ2024はグループAに入り、初戦でカナダに後半に2点を奪って2-0で勝利すると、続くチリ戦は互いに得点が奪えないまま迎えた88分にラウタロ・マルティネスが決勝点を奪い取り1-0で勝利した。最終節のペルー戦も後半にラウタロ・マルティネスの2得点で2-0で勝利しグループリーグ3連勝で決勝トーナメントに進出した。準々決勝はエクアドルと対戦し、前半35分にリサンドロ・マルティネスが先制ゴールを決めるが、試合終了間際の90+2分にケビン・ロドリゲスにヘディングで同点ゴールを決められ、延長戦でも決着せずPK戦に突入。PK戦では1人目のメッシがパネンカで放ったシュートをバーに当て失敗。それでも、エミリアーノ・マルティネスが2人連続でPKをストップする活躍を見せ、残りの4人が全員PKを成功させてベスト4進出を決めた[29]。準決勝はグループステージ初戦で対戦したカナダと再び対戦し、51分にメッシの今大会初ゴールの活躍で再び2-0で勝利し2大会連続の決勝進出を決めた。

決勝は23年ぶり2回目の優勝を目指すコロンビアと対戦。会場のハードロック・スタジアムでトラブルが相次ぎキックオフが1時間以上遅延する中、互いにチャンスを作りながら決め手を欠き得点が奪えない状態が続く。接触プレーが増えていくと64分にはメッシが負傷交代となり、より苦しい状態のまま90分で決着せず延長戦に突入。激しい攻防が続く中、112分に前線に抜け出したラウタロ・マルティネスがGKとの1対1を制してネットを揺らし、連覇に大きく近づく。残りの時間でコロンビアに最後まで得点を与えずに1-0で勝利し、史上最多16回目の連覇を達成した[30]。

史上3か国目となるW杯2連覇を目指して挑んだ2026 FIFAワールドカップはグループJに組分けされ、初戦でアルジェリアと対戦。前回大会MVPのリオネル・メッシがハットトリックの大活躍で3-0の快勝を収めると、第2戦のオーストリア戦もメッシの2得点の活躍でノックアウトステージ進出を確定。第3戦は初出場となるヨルダンと対戦し、55分にムーサ・アッ=タアマリーのゴールで初失点するも、3-1で勝利しグループステージを3連勝で終えた。なお、メッシはこの試合でW杯史上初の7試合連続得点となった[31]。

ノックアウトステージはラウンド32で初出場のカーボベルデと対戦。開始から均衡した試合展開の中で前半29分にメッシが先制点を挙げ、W杯8試合連続得点を記録。しかし、59分にデロイ・ドゥアルテに同点ゴールを決められ、90分で決着は着かず延長戦に突入。延長戦では92分にリサンドロ・マルティネスの得点で再びリードを奪うが、103分にシドニー・ロペス・カブラルに左サイドから再び同点ゴールを決められる。それでも111分にコーナーキックからオウンゴールを誘発させ、苦しみながらも3-2で勝利。なお、この試合でメッシはW杯通算20得点を達成した[32]。ラウンド16はラウンド32でエジプトと対戦、前半15分にヤセル・イブラヒムのゴールで今大会初めて先制を許す苦しい展開に。前半のうちにPKを獲得したものの、メッシはこれを決められず、1点ビハインドで折り返した67分にはモスタファ・ジーコに追加点を奪われた。しかし、79分にクリスティアン・ロメロが1点を返すと、4分後にはまたもメッシが得点を挙げて同点に追いつき、試合終了間際にはエンソ・フェルナンデスの逆転弾が決まり、3-2でラウンド16を突破した[33]。準々決勝は72年ぶりにベスト8進出を決めたスイスと対戦した。開始からアルゼンチンがボールを支配するゲーム展開の中、前半10分にメッシのCKからアレクシス・マカリステルが先制点を奪う。しかし、67分にダン・エンドイェに同点弾を決められ、その5分後にはブリール・エンボロがレアンドロ・パレデスと接触した際に倒れ、パレデスにイエローカードが提示される。しかし、VARによる確認の結果、エンボロのシミュレーションが認定。パレデスはイエローカードを取り消され、代わりにエンボロにイエローカードが提示、2枚目となりエンボロは退場。数的優位に立ったものの、勝ち越しゴールは生まれずに今大会2度目の延長戦へ突入した。延長前半を同点で折り返すと、112分にフリアン・アルバレスが軌道を描いたシュートを決めて勝ち越しに成功。さらに、延長後半AT2分にも85分から投入されたラウタロ・マルティネスが3点目となる得点を奪い、3-1で勝利した[34]。

準決勝は2002年大会以来24年ぶりにイングランドと対戦。前半は非常に拮抗した試合展開で前半を0-0で折り返す。しかし、55分にクロスからアンソニー・ゴードンに先制ゴールを決められ、その後は再三の決定機をジョーダン・ピックフォードのファインセーブに遭う。しかし85分にショートコーナーからエンソ・フェルナンデスがミドルシュートを決めて同点に追いつく。さらに後半アディショナルタイム2分にはリオネル・メッシが右サイドからクロスを入れると、最後は途中出場のラウタロ・マルティネスがヘディングで逆転ゴールを決め、劇的な逆転勝利で2大会連続の決勝進出を決めた[35]。

イタリア、ブラジルに次ぐ史上3か国目となるW杯連覇がかかった決勝は2010年大会以来16年ぶりの優勝を目指すスペインとの対戦となった。スペインは2年前に行われたUEFA EURO 2024で優勝、アルゼンチンも同じく2年前に行われたコパ・アメリカ2024で優勝しており、欧州王者と南米王者が決勝で相対することとなった。両チームがW杯で対戦するのは1966年大会以来60年ぶりであった。試合開始からスペインが優位に立ち、再三のピンチではGKのエミリアーノ・マルティネスを中心にしのぐ展開となる。80分までシュートなしという1966年以降初の記録を残してしまうと、さらに後半終了直前にはエンツォ・フェルナンデスがイエローカード2枚で退場となる。それでも後半終了直前に与えたFKをエミリアーノ・マルティネスのファインセーブで抑え、90分間粘りを見せて延長戦に突入。延長戦でも守備の強度は落ちることなく、スコアレスのまま試合は推移。しかし、延長後半1分にクロスからニコ・ウィリアムズに頭で折り返されると、フェラン・トーレスにネットを揺らされ、均衡がついに崩れる。そのまま試合は終了し、史上3か国目となるW杯連覇はならなかった[36][37][38][39][40][41]。シュート数はスペインの20に対して3、枠内シュートは12対0と、終始圧倒された。一方で警告はスペインが0だったのに対し、アルゼンチンはイエロー7枚、(イエロー2枚による)レッド1枚と荒さが目立った[42]。さらに、試合終了直後にはパレデスが勝利を喜ぶスペインのE・ガルシアを突き飛ばし、ガビを押し倒すなど、暴力行為に及んだ[43]。

タイトル

アルゼンチン代表
世代別代表
オリンピック
  • 金メダル (2):2004, 2008
  • 銀メダル (2):1928, 1996

A代表の成績

FIFAワールドカップ

さらに見る 開催国/年, 成績 ...
開催国/年成績試勝分負得失
ウルグアイの旗 1930準優勝5401189
イタリア王国の旗 19341回戦敗退100123
フランスの旗 1938不参加
ブラジルの旗 1950
スイスの旗 1954
スウェーデンの旗 1958グループリーグ敗退3102510
チリの旗 1962 グループリーグ敗退311123
イングランドの旗 1966ベスト8421142
メキシコの旗 1970予選敗退
西ドイツの旗 19742次リーグ敗退6123912
アルゼンチンの旗 1978優勝7511154
スペインの旗 19822次リーグ敗退520387
メキシコの旗 1986優勝7610145
イタリアの旗 1990準優勝723254
アメリカ合衆国の旗 1994ベスト16420286
フランスの旗 1998ベスト85311104
日本の旗大韓民国の旗 2002グループリーグ敗退311122
ドイツの旗 2006ベスト85320113
南アフリカ共和国の旗 2010 ベスト85401106
ブラジルの旗 2014準優勝751184
ロシアの旗 2018ベスト16411269
カタールの旗 2022優勝7421158
カナダの旗アメリカ合衆国の旗メキシコの旗 2026準優勝8701198
モロッコの旗ポルトガルの旗スペインの旗アルゼンチンの旗ウルグアイの旗パラグアイの旗 2030出場決定
合計出場19回/優勝3回96541725171109
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コパ・アメリカ

  • 1916 - 準優勝
  • 1917 - 準優勝
  • 1919 - 3位
  • 1920 - 準優勝
  • 1921 - 優勝
  • 1922 - 4位
  • 1923 - 準優勝
  • 1924 - 準優勝
  • 1925 - 優勝
  • 1926 - 準優勝
  • 1927 - 優勝
  • 1929 - 優勝
  • 1935 - 準優勝
  • 1937 - 優勝
  • 1939 - 不参加
  • 1941 - 優勝
  • 1942 - 準優勝
  • 1945 - 優勝
  • 1946 - 優勝
  • 1947 - 優勝
  • 1949 - 不参加
  • 1953 - 不参加
  • 1955 - 優勝
  • 1956 - 3位
  • 1957 - 優勝
  • 1959 - 優勝
  • 1959 - 準優勝
  • 1963 - 3位
  • 1967 - 準優勝


さらに見る 開催国/年, 成績 ...
開催国/年成績
H&A 1975 グループリーグ敗退
H&A 1979 グループリーグ敗退
H&A 1983 グループリーグ敗退
アルゼンチンの旗 1987 4位
ブラジルの旗 1989 3位
チリの旗 1991 優勝
エクアドルの旗 1993 優勝
ウルグアイの旗 1995 ベスト8
ボリビアの旗 1997 ベスト8
パラグアイの旗 1999 ベスト8
コロンビアの旗 2001 不参加
ペルーの旗 2004 準優勝
ベネズエラの旗 2007 準優勝
アルゼンチンの旗 2011 ベスト8[45][46]
チリの旗 2015 準優勝
アメリカ合衆国の旗 2016 準優勝
ブラジルの旗 2019 3位
ブラジルの旗 2021 優勝
アメリカ合衆国の旗 2024 優勝
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FIFAコンフェデレーションズカップ

さらに見る 開催年, 結果 ...
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
サウジアラビアの旗 1992 優勝 2 2 0 0 7 1
サウジアラビアの旗 1995 準優勝 3 1 1 1 5 3
サウジアラビアの旗 1997 不参加
メキシコの旗 1999
大韓民国の旗日本の旗 2001
フランスの旗 2003
ドイツの旗 2005 準優勝 5 2 2 1 10 10
南アフリカ共和国の旗 2009 不参加
ブラジルの旗 2013
ロシアの旗 2017
合計 3/10 10 5 3 2 22 14
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パンアメリカン競技大会

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
アルゼンチンの旗 1951優勝4400162
メキシコの旗 1955 優勝6510237
アメリカ合衆国の旗 1959 優勝6510204
ブラジルの旗 1963準優勝7310183
カナダの旗 1967グループリーグ敗退311173
コロンビアの旗 1971優勝541072
メキシコの旗 19753位321091
プエルトリコの旗 1979 3位422030
ベネズエラの旗 1983グループリーグ敗退200204
アメリカ合衆国の旗 19873位4301113
キューバの旗 1991予選敗退
アルゼンチンの旗 1995優勝6510104
カナダの旗 1999予選敗退
ドミニカ共和国の旗 2003優勝5500105
ブラジルの旗 2007グループリーグ敗退302113
メキシコの旗 2011準優勝531162
カナダの旗 2015不参加
合計14/17604610613443
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世代別の成績

オリンピック

  • 1960 - グループリーグ敗退
  • 1964 - グループリーグ敗退
  • 1968 - 予選敗退
  • 1972 - 予選敗退
  • 1976 - 予選敗退
  • 1980 - 参加辞退
  • 1984 - 予選敗退
  • 1988 - ベスト8


FIFA U-20ワールドカップ

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
チュニジアの旗 1977予選敗退------
日本の旗 1979優勝6600202
オーストラリアの旗 1981グループリーグ敗退311133
メキシコの旗 1983準優勝6501132
ソビエト連邦の旗 1985予選敗退------
チリの旗 1987------
サウジアラビアの旗 1989ベスト8410334
ポルトガルの旗 1991グループリーグ敗退301226
オーストラリアの旗 1993予選敗退------
カタールの旗 1995優勝6501123
マレーシアの旗 1997 優勝7601157
ナイジェリアの旗 1999ベスト16411225
アルゼンチンの旗 2001優勝7700274
アラブ首長国連邦の旗 20034位7502128
オランダの旗 2005優勝7601125
カナダの旗 2007 優勝7610162
エジプトの旗 2009予選敗退------
コロンビアの旗 2011ベスト8532061
トルコの旗 2013予選敗退------
ニュージーランドの旗 2015グループリーグ敗退302145
合計14/20755281514757
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FIFA U-17ワールドカップ

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
中華人民共和国の旗 1985グループリーグ敗退311154
カナダの旗 1987予選敗退
スコットランドの旗 1989ベスト8412153
イタリアの旗 19913位622255
日本の旗 1993グループリーグ敗退311176
エクアドルの旗 19953位6501124
エジプトの旗 1997ベスト8421132
ニュージーランドの旗 1999予選敗退
トリニダード・トバゴの旗 20014位6312129
フィンランドの旗 20033位6411104
ペルーの旗 2005予選敗退
大韓民国の旗 2007ベスト8522174
ナイジェリアの旗 2009ベスト16420266
メキシコの旗 2011 ベスト16411248
アラブ首長国連邦の旗 20134位74121312
チリの旗 2015グループリーグ敗退300318
合計13/16612813209075
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南米U-17選手権

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
アルゼンチンの旗 1985優勝8800324
ペルーの旗 19864位715177
エクアドルの旗 1988準優勝7601134
パラグアイの旗 19913位7421107
コロンビアの旗 1993 3位7412126
ペルーの旗 1995準優勝6411124
パラグアイの旗 1997 準優勝7412156
ウルグアイの旗 19994位622299
ペルーの旗 2001準優勝7412129
ボリビアの旗 2003優勝7430195
ベネズエラの旗 2005グループリーグ敗退411267
エクアドルの旗 20073位9441137
チリの旗 2009準優勝5320104
エクアドルの旗 20113位95131711
アルゼンチンの旗 2013優勝94321713
パラグアイの旗 2015準優勝9423149
合計16/16117642825223119
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南米ユース選手権

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ベネズエラの旗 1954予選敗退
チリの旗 1958準優勝52211610
コロンビアの旗 19646位612345
パラグアイの旗 1967優勝623197
パラグアイの旗 19713位530273
チリの旗 19744位512235
ペルーの旗 19753位522176
ベネズエラの旗 1977グループリーグ敗退402235
ウルグアイの旗 1979準優勝6321101
エクアドルの旗 19813位63121112
ボリビアの旗 1983 3位75111710
パラグアイの旗 1985グループリーグ敗退412153
コロンビアの旗 19873位631299
アルゼンチンの旗 1988 3位8602135
ベネズエラの旗 1991準優勝73311210
コロンビアの旗 1992予選敗退
ボリビアの旗 1995準優勝7511103
チリの旗 1997優勝9531187
アルゼンチンの旗 1999 優勝9801213
エクアドルの旗 2001準優勝9531136
ウルグアイの旗 2003優勝9621155
コロンビアの旗 20053位9540194
パラグアイの旗 2007準優勝9351158
ベネズエラの旗 20096位91531013
ペルーの旗 20113位9612159
アルゼンチンの旗 2013グループリーグ敗退411267
ウルグアイの旗 2015優勝9711247
合計25/27167834935279159
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歴代監督

2026年7月20日現在(試合数、勝敗数)
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期間監督試合勝分敗
1924-1925アンヘル・バスケス
1926-1927ホルヘ・バルデラマ
1927-1928ホセ・ラーゴ・ミジャン
1928-1929フランシスコ・オラサール
1929-1930フランシスコ・オラサール
フアン・ホセ・トラムトーラ
1934フェリペ・パスクッチ
1934-1937マヌエル・セオアネ
1937-1939アンヘル・フェルナンデス・ロカ
1939-1960ギジェルモ・スタービレ
1960-1961ビクトリオ・スピネット
1962-1963フアン・カルロス・ロレンソ
1963アレハンドロ・ガラン
1963-1964オラシオ・アマブレ・トーレス
1964-1968ホセ・マリア・ミネージャ
1968レナート・セサリーニ
1968-1969ウンベルト・マスチオ
1969アドルフォ・ペデルネーラ
1969-1972フアン・ホセ・ピスティ
1972-1974オマール・シボリ
1974ブラディスラオ・カップ
1974-1983アルゼンチンの旗 セサル・ルイス・メノッティ85462118
1983-1990アルゼンチンの旗 カルロス・ビラルド81283023
1991-1994アルゼンチンの旗 アルフィオ・バシーレ4825176
1993アルゼンチンの旗 レイナルド・メルロ1001
1994-1998アルゼンチンの旗 ダニエル・パサレラ57341310
1999アルゼンチンの旗 クラウディオ・ビバス(英語版)2200
1999-2004アルゼンチンの旗 マルセロ・ビエルサ83541811
2004-2006アルゼンチンの旗 ホセ・ペケルマン281576
2006-2008アルゼンチンの旗 アルフィオ・バシーレ281486
2008-2010アルゼンチンの旗 ディエゴ・マラドーナ251807
2010-2011アルゼンチンの旗 セルヒオ・バティスタ12633
2011-2014アルゼンチンの旗 アレハンドロ・サベーラ4025105
2014-2016 アルゼンチンの旗 ヘラルド・マルティーノ291973
2016-2017 アルゼンチンの旗 エドガルド・バウサ8323
2017-2018 アルゼンチンの旗 ホルヘ・サンパオリ15744
2018- アルゼンチンの旗 リオネル・スカローニ104761810
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ユニフォーム

ホーム用ユニフォームは国旗に由来する空色と白色の縦縞のシャツ、黒色のパンツ、白色と黒色のソックスである。アウェー用ユニフォームはたいてい紺色のシャツだが、パンツとソックスの色は様々である。何度かはこの通りでないユニフォームを着用しており、そのひとつがブラジルサッカー連盟によって慈善大会として計画された1919年のコパ・ロベルト・チェリーである。この大会ではウルグアイ代表によく似た(縦縞がない)空色のシャツを着用してブラジル代表と戦った[47]。ロベルト・チェリーは1919年の南米選手権に出場したウルグアイ代表の控えキーパーであり、チリとの試合中に倒れて死去していた[48]。

また、スウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップにはアウェーユニフォームを持参しておらず、地元のIFKマルメのユニフォーム(黄色)を借りて西ドイツ戦に臨んだ。

ファーストキット

1901
1911–1974
1930 (World Cup)
1975
1978
1986
1990
1994
1998
1999
2002
2004
2006
2008
2010
2011
2014
2015
2016
2018

歴代選手

W杯の登録メンバー

主な代表選手

GK

DF

MF

FW

歴代記録

出場数ランキング

2026年7月20日現在
  水色は現役代表選手
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得点数ランキング

2026年7月20日現在
  水色は現役代表選手
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順位選手得点出場期間
1リオネル・メッシ1252072005-2026
2ガブリエル・バティストゥータ55781991-2002
3セルヒオ・アグエロ411012007-2021
4ラウタロ・マルティネス40842018-
5エルナン・クレスポ35631995-2007
6ディエゴ・マラドーナ34911977-1994
7ゴンサロ・イグアイン31752009-2018
アンヘル・ディ・マリア1452008-2024
9ルイス・アルティメ(英語版)24251961-1967
10ダニエル・パサレラ22701976-1986
レオポルド・ルケ451975-1981
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ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク

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