クララ・ペトレッラ

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生誕 (1914-03-28) 1914年3月28日
死没 (1987-11-19) 1987年11月19日(73歳没)
ジャンル クラシック音楽(オペラ
クララ・ペトレッラ
Clara Petrella
基本情報
生誕 (1914-03-28) 1914年3月28日
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ミラノ
死没 (1987-11-19) 1987年11月19日(73歳没)
ジャンル クラシック音楽(オペラ
職業 歌手
活動期間 1939年 - 1973年

クララ・ペトレッラ(Clara Petrella, 1914年3月28日 - 1987年11月19日[1]は、イタリアソプラノ歌手。

8歳年下のレナータ・テバルディに似た声質のリリコ・スピント・ソプラノとして名高く、ジャコモ・プッチーニを中心としたヴェリズモ・オペラを中心的なレパートリーとして終戦後の1940年代後半から1970年代初頭まで活躍した。

得意とした演目はプッチーニの《マノン・レスコー》や《蝶々夫人》の表題役、ジュゼッペ・ヴェルディの《オテロ》におけるデズデモナ役、ルッジェーロ・レオンカヴァッロの《道化師》におけるネッダ役、ピエトロ・マスカーニの《イリス》表題役などであった。古典だけではなく、イルデブランド・ピツェッティジャン=カルロ・メノッティといった作曲家からの信頼が篤かったことから、20世紀半ばまでの現代オペラを数多くレパートリーに入れていた。先輩のマリア・カニーリア、ジンカ・ミラノフマグダ・オリヴェロ、後輩のマリア・カラス、レナータ・テバルディ、アントニエッタ・ステッラの陰に隠れて、現在では過小評価された歌手と言えるが、力強く輝かしい美声に加えて登場人物の性格表現にも優れていたとして評価が高い。

経歴

ミラノで作曲家エッリーコ・ペトレッラ(1813-1877)の家系に生まれる。声楽家だった姉ミカエラに声楽の手ほどきを受けた後、ジュリア・テス(1889-1976)の薫陶を受けた。1938年にフィレンツェの声楽コンクールで優勝し、1939年にミラノのプッチーニ劇場にてジャコモ・プッチーニの《ラ・ボエーム》のミミ役でデビュー[2]。同年にはマックス・ドニッシュの喜歌劇《ソレイダ》でミラノ・スカラ座に脇役デビューした。1940年にはアレッサンドリアでプッチーニ作曲《トゥーランドット》のリュー役を演じた[2][3]

1947年にプッチーニ作曲『外套』のジョルジェッタ役でミラノ・スカラ座に主演デビューを果たす[3]。その後1973年までスカラ座をはじめローマ歌劇場やナポリのサン・カルロ劇場を中心に活躍し、マリオ・デル・モナコフランコ・コレッリジュゼッペ・ディ・ステファノといったスター歌手たちと共演した。ヴィクトル・デ・サバタヘルベルト・フォン・カラヤンディミトリス・ミトロプーロス[4]カルロ・マリア・ジュリーニ[3]といった巨匠指揮者のもとでも歌っている。輝かしいリリコ・スピントによる歌声の素晴らしさや舞台映えする美貌のみならず演技面でも高い評価を受けており、「オペラ界のエレオノーラ・ドゥーゼ」と評する声もあった[2][3]。1956年にテレビ放送用のオペラ映画『マノン・レスコー』および『外套』に主演しており、ペトレッラの卓越した演技表現が確認できる。

1953年にはデッカ・レコードのスタジオ録音に参加し、ルッジェーロ・レオンカヴァッロの『道化師』(アルベルト・エレーデ指揮)でマリオ・デル・モナコと共演した。デル・モナコは1959年にトゥリオ・セラフィンの指揮で『道化師』を再録音しており、今日ではセラフィン版の知名度が高いことから1953年版におけるペトレッラのネッダが陰に隠れがちである。しかし1959年版でネッダを歌ったガブリエラ・トゥッチと比較してもペトレッラの歌唱はいささかの遜色もなく、むしろネッダの性格表現においてペトレッラはトゥッチに勝っているとも言える。その他に、チェトラ・レコードのスタジオ録音によって得意としたプッチーニの『マノン・レスコー』および『蝶々夫人』を残している。

主なレパートリーとしてはジャコモ・プッチーニをはじめピエトロ・マスカーニルッジェーロ・レオンカヴァッロフランチェスコ・チレアフランコ・アルファーノエルマンノ・ヴォルフ=フェラーリイタロ・モンテメッツィといったイタリアのヴェリズモ・オペラが多く、次いでシャルル・グノージョルジュ・ビゼージュール・マスネといったフランス・オペラ、さらにピエトロ・フランチェスコ・カヴァッリクラウディオ・モンテヴェルディのバロック・オペラもレパートリーに入れていた。リヒャルト・ワーグナーの『ローエングリン』におけるエルザ役を演じたこともある。

20世紀半ばまでの現代オペラにも意欲的で、ダリウス・ミヨーイルデブランド・ピツェッティジャン=カルロ・メノッティジャン・フランチェスコ・マリピエロレンツォ・ロッセリーニ、リチーニオ・レフィーチェ、フランコ・マンニーノ、グイド・パンナインのオペラにも出演している。とくにピツェッティからの信頼が篤かった。ルッカでペトレッラがジャナンドレア・ガヴァッツェーニの指揮でプッチーニの『外套』に出演した際、ピツェッティがペトレッラの楽屋を訪れて自作を歌ってほしいと依頼した。ペトレッラはピツェッティの楽曲は複雑に構成されすぎて荷が重いとしてその場では辞退したが、数日後スカラ座に呼ばれて再度ピツェッティから彼のオペラ『デボラとヤエーレ』でのヤエーレ役を打診され、引き受けることを決めた[4]。それ以降もピツェッティ自身の指名により1952年にはスカラ座での『カリオストロ』世界初演でヒロインのセラフィーナ役を演じ、1954年にはサン・カルロ劇場での『イオリオの娘』世界初演でヒロインのミラ役を演じて称賛を受けた。信頼関係はピツェッティの晩年まで続き、1965年にはスカラ座で『クリテンネストラ』世界初演で主演をつとめている。

1951年にはスカラ座でメノッティ作曲『領事』のイタリア初演(世界初演はバーゼルでインゲ・ボルクが演じた)においてヒロインのマグダ・ソレル役を演じており、これは作曲家のメノッティ直々の指名によるものだった[2]。1953年にはローマ歌劇場でヴォルフ=フェラーリ作曲『マドンナの宝石』のイタリア初演(世界初演は1911年ベルリンにおいて)でマリエッラ役を演じた。また、1955年にはサン・カルロ歌劇場におけるグイド・パンナイン作曲のオペラ『ボヴァリー夫人』の世界初演で主演をつとめ、公演を成功に導いている。作曲家のパンナインはペトレッラを「音楽の女優(attrice di musica)」と評して絶賛した[4]。1958年にはサン・カルロ劇場でレンツォ・ロッセリーニ作曲『渦(Il vortice)』の世界初演に主演。1963年にはパレルモのマッシモ劇場でフランコ・マンニーノ作曲、ルキノ・ヴィスコンティ台本・演出のオペラ『花園の悪魔(Il diavolo in giardino)』世界初演に出演し、ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア役を演じている[2]

リリコ・スピント・ソプラノとして高い技術を持ちながら、ジュゼッペ・ヴェルディ中期以降のドラマティックなレパートリーへの進出には消極的だった。ヴェルディ作品では『オテロ』のデズデモナ役と『ファルスタッフ』のナンネッタおよびアリーチェ役をレパートリーとしている。特にデズデモナ役としては1951年にメキシコでマリオ・デル・モナコと共演したライブ音源が知られており、同時期にはローマ歌劇場においてもデル・モナコおよびティト・ゴッビとの共演でデズデモナを演じた他、デル・モナコ以前にはラモン・ヴィナイとも共演している[3]。しかし、ペトレッラの声質が最も生かされたであろう『アイーダ』の表題役や『イル・トロヴァトーレ』のレオノーラ役はレパートリーに入っていない。ヴェルディ以外にも、強く輝かしい声を持ちながらドラマティックなレパートリーへの進出は消極的であったと見られ、ヴェリズモを得意としながらプッチーニの『トスカ』やアミルカレ・ポンキエッリの『ラ・ジョコンダ』といった作品はレパートリーに入れていなかった。ペトレッラが同時代のソプラノの中でレナータ・テバルディやアントニエッタ・ステッラに知名度で及んでいないのはその点にも原因があると見られる。

1973年、カターニアのマッシモ・ベッリーニ劇場におけるレンツォ・ロッセリーニ作曲『橋からの眺め』を最後に引退した[2]

1987年、ミラノにて死去した。

主なレパートリー

役名 作品名 作曲家
カチューシャ 『復活』 フランコ・アルファーノ
『囚人たち』 レンツォ・ビアンキ
ミカエラ カルメン ジョルジュ・ビゼー
ディドーネ 『ラ・ディドーネ』 ピエトロ・フランチェスコ・カヴァッリ
ヴィヴェッタ 『アルルの女』 フランチェスコ・チレア
アドリアーナ アドリアーナ・ルクヴルール
マルグリート ファウスト シャルル・グノー
ネッダ 道化師 ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
ザザ 『ザザ』
ヴァニエラ公女 『10人のうちのひとり』 ジャン・フランチェスコ・マリピエロ
ヴィヴィ 『ヴィヴィ』 フランコ・マンニーノ
ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア 『花園の悪魔』
スゼル 友人フリッツ ピエトロ・マスカーニ
イリス イリス
マノン マノン ジュール・マスネ
シャルロット ウェルテル
ポペルカ 『橋の上の喜劇』 ボフスラフ・マルティヌー
マグダ・ソレル 『領事』 ジャン=カルロ・メノッティ
マリア・ゴロヴィン 『マリア・ゴロヴィン』
エウリディーチェ 『オルフェの不幸』 ダリウス・ミヨー
フィオーラ 『三人の王の愛』 イタロ・モンテメッツィ
ポッペーア ポッペーアの戴冠 クラウディオ・モンテヴェルディ
ヴィーナス 『ダフニ』 ジュゼッペ・ムレ
マル 『泉の尼僧』
スザンナ ホヴァーンシチナ モデスト・ムソルグスキー
エマ・ボヴァリー 『ボヴァリー夫人』 グイド・パンナイン
ヤエーレ 『デボラとヤエーレ』 イルデブランド・ピツェッティ
セラフィーナ 『カリオストロ』
ミラ 『イオリオの娘』
クリテンネストラ 『クリテンネストラ』
マノン・レスコー マノン・レスコー ジャコモ・プッチーニ
ミミ ラ・ボエーム
蝶々さん 蝶々夫人
ジョルジェッタ 外套
リュー トゥーランドット
チェチーリア 『チェチーリア』 リチーニオ・レフィーチェ
カテリーナ 『嵐』 ロドヴィーコ・ロッカ
アンナ 『渦』 レンツォ・ロッセリーニ
ベアトリーチェ 『橋からの眺め』
オチェアーナ 『大洋神の娘』 アントニオ・スマレーリャ
ロクサーナ ロジェ王 カロル・シマノフスキ
デズデモナ オテロ ジュゼッペ・ヴェルディ
アリーチェ・フォード ファルスタッフ
ナンネッタ
エルザ ローエングリン リヒャルト・ワーグナー
マリエッラ マドンナの宝石 エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ

ディスコグラフィ

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