クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 クレズリー・エヴァンドロ・ギマランイス
Clesly Evandro Guimarães
愛称 ケリー
ラテン文字 KELLY
ケリー
名前
本名 クレズリー・エヴァンドロ・ギマランイス
Clesly Evandro Guimarães
愛称 ケリー
ラテン文字 KELLY
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1975-04-28) 1975年4月28日(50歳)
出身地 サンパウロ州バハ・ボニータ[1]
身長 178cm[2]
体重 78kg[2]
選手情報
ポジション MF[2], FW
利き足 右足
ユース
ブラジルの旗 ブラガンチーノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 ブラジルの旗 ブラガンチーノ
1997 スペインの旗 ログロニェス 12 (1)
1997 ブラジルの旗 フラメンゴ 2 (0)
1998-2001 ブラジルの旗 アトレチコPR 53 (10)
2001-2004 日本の旗 FC東京 97 (30)
2005 ブラジルの旗 クルゼイロEC 39 (16)
2006 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン
2007 ブラジルの旗 グレミオ 15 (1)
2008 ブラジルの旗 アトレチコPR 6 (0)
通算 224 (58)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ケリー(Kelly)こと、クレズリー・エヴァンドロ・ギマランイス(Clesly Evandro Guimarães、1975年4月28日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー (MF)

5歳の時にサッカーを始める[3]CAブラガンチーノのトレーナーを務める叔父の紹介を受け[4]、15歳で親元を離れ[5] 同クラブの下部組織へ加入。1992年にプロ契約を結んだ[4]

ブラジル全国選手権での活躍が認められ[4]、1997年にスペインCDログロニェスへ移籍。しかし外国籍枠の制限から若手のケリーはメンバー外になることが多く[6]、半年で移籍期間を満了した。

1998年から所属したアトレチコ・パラナエンセではチームにフィットし実力を発揮。ケリーはトップ下で[3] 背番号10を背負い、MFアドリアーノ、FWクレーベル、FWルーカスと築いた攻撃陣は「quadrado mágico(魔法陣)」と称された[7]。ケリー自身も州選手権制覇の原動力となる活躍で「パラナ州最高のフットボーラー」として名を馳せ[4][8][9]、その名前に違わぬプレーを披露した[10]

2001年3月、同年のJリーグ開幕直前にFC東京へ移籍[8]、4月14日の浦和レッズ戦での決勝ゴールがJリーグ初ゴールとなった[11]。卓越した個人技と[4]周囲を活かす抜群のキープ力で[12]チームの攻撃を掌握しトップ下に定着。的確にスペースをつく効果的なパス、二列目から飛び出して行きゴールに球を流し込む・押し込むようなゴール、相手に囲まれた際にヒールパスやラボーナなど意表をつくプレーで[9]「将軍」の異名をとった[10]。2002年はフィールドプレーヤーではチーム最長出場[13]、2003年にはJリーグ優秀選手に選出された[14]

2004年は膝、足首、脹脛と細かな負傷が続き[15]、復帰戦でも退場処分を受けるなど[16] 思わぬ不振に見舞われた[17]。シーズン後半から復帰し[18]同年のナビスコカップ優勝にも貢献したが、ケリーの離脱中に抜擢された馬場憂太梶山陽平が好プレーを続けたことや[19]、クラブ首脳がケリーら外国籍助っ人頼みとなっている状況からの脱皮を試みたこと[12] などの要因が重なり、この年限りで契約を満了[20]。2ndステージ、第4節、9月11日のヴィッセル神戸戦で決めた2点目のゴールがJリーグでの最後のゴール[21]、第13節、11月20日のアルビレックス新潟戦が最後の出場となった[22]。Jリーグでは通算97試合30ゴール、リーグカップでは22試合4ゴールの成績を残した[11]

日本でのプレー継続を望んでいたが[17][23]、他クラブからの具体的なオファーは無く[24]2005年1月、母国ブラジル帰国後にクルゼイロECへ完全移籍。早々にポジションを獲得すると点取り屋としての才能も開花させ、同年のブラジル全国選手権ではチーム得点王となる16得点を挙げた[25]。クルゼイロとの契約途中でUAEの強豪アル・アインFCから好条件のオファーが届いた事から円満移籍に至り、スペイン・日本に続く3ヶ国目の海外移籍を果たした。

2007年3月、ブラジルに帰国し名門・グレミオに移籍[26]。その後2008年シーズンからは古巣であるアトレチコ・パラナエンセに復帰するものの、右膝を手術するなど[27][25]コンディションは悪く、同年12月いっぱいでクラブを退団。AAポンチ・プレッタへの移籍を図ったが、右膝はプレーに耐えられるほどには回復しなかったことから[28]、2009年8月に引退を表明した[25]

引退後は、フィジカルコーチを目指してブラジルのスポーツ大学で体育学学位を取得[9]。また、自身のイニシャルを取ったサッカースクール「KG10」を設立した[25]

エピソード

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1994ブラガンチーノセリエA100
19952211
1996218
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97ログロニェスリーガ・エスパニョーラ121
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997フラメンゴセリエA20
1998アトレチコPR121
199910207
2000212
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001FC東京19J126942103111
20022986100359
200327980213710
20041544131226
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2005クルゼイロ10セリエA3916
UAE リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005-06 (en) アル・アインUAEリーグ
2006-07 (en) 11
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2007グレミオ17セリエA151
2008アトレチコPR60
通算ブラジルセリエA
スペインリーガ・エスパニョーラ 121
日本J1 97302246212536
UAEUAEリーグ
総通算
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点
CONMEBOLスダメリカーナ杯リベルタドーレス杯
2000アトレチコPR-84
2005 (en) クルゼイロ30-
AFCACL-
2005アル・アイン-
200611-
CONMEBOLスダメリカーナ杯リベルタドーレス杯
2007 (en) グレミオ17-
2008 (en) アトレチコPR1621-
通算AFC -
通算CONMEBOL

指導歴

タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI