グランドアイル郡 (バーモント州)
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| バーモント州グランドアイル郡 | |
|---|---|
ノースヒーロー町にあるグランドアイル郡庁舎 | |
郡のバーモント州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1777年1月15日(ニューヨーク州シャーロット郡から) |
| 郡庁所在地 | ノースヒーロー |
| 最大のtown | グランドアイル |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
505 km2 (195 mi2) 215 km2 (83 mi2) 290 km2 (112 mi2), 57.56% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
6,970人 32.42人/km2 (84人/mi2) |
| 標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
グランドアイル郡(英: Grand Isle County)は、アメリカ合衆国バーモント州の北西隅部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は6,970人であり、2000年の6,901 人から1.0%増加した[1]。郡庁所在地はノースヒーロー町(人口803人[2])であり、同郡で人口最大の町はグランドアイル町(人口2,067人[3])である。
グランドアイル郡は、1777年1月15日に、バーモントがニューヨークとは異なる国であることを宣言したとき、ニューヨークから割譲された土地に設立された数郡の1つである[4][5][6]。この領域はマサチューセッツ、ニューハンプシャー、ニューヨークが領有を争っていたが、1764年7月20日、イギリス王ジョージ3世が、ニューハンプシャーとニューヨークの境界をコネチカット川の西岸に定め、南はマサチューセッツとの州境、北は北緯45度線に設定した。ニューヨークはオールバニ郡にその土地を割り当てた[7][8]。1772年3月12日、オールバニ郡が分割されて、この地域はシャーロット郡となり[9]、この状態はバーモントがニューヨークとイギリスから独立するまで続いたが、それで競合は終わらなかった。
1783年9月3日、パリ条約が調印された結果としてアメリカ独立戦争が終わり、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めた。バーモントとカナダのケベック州との国境は北緯45度線とされ[10][11]、それがバーモントとアメリカ合衆国の他地域に陸地の境界が無い理由である。
マサチューセッツは1629年からこの地域の領有を主張しており、それを正式に引っ込めたのは1786年12月16日のことだった[12]。ニューヨークはバーモントに取られた領土について不満であり、連邦議会にその解決を委ねた。連邦議会は1788年3月7日にニューヨークの申し立てを却下した[13]。
その後にバーモントが州昇格を請願し、連邦議会は合同委員会にニューヨークとバーモントの境界問題を解決するよう命令した。この委員会が、1791年3月4日にバーモントが州に昇格する前に裁定を出したが、その時に認めた微修正は結局行われなかった[14][15][16]。
19世紀後半、ラトランド鉄道がニューヨーク州北部からカナダ国境を経てバーモント州西側をラトランドに進み、さらに南のニューヨーク州チャタムに運行された。1899年から一連の土手道でシャンプレーン湖諸島を通る南北の線が運行され、バーリントンに直接繋がるようになった。オールバーグから最後の列車がでたのは1948年だった[17]。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は195平方マイル (505.0 km2)であり、このうち陸地83平方マイル (215.0 km2)、水域は112平方マイル (290.1 km2)で水域率は57.56%である[18]。バーモント州では面積最少の郡である。5つある町の4つはシャンプレーン湖の島にあり、オールバーグ町だけがケベック州から湖に伸びる半島(オールバーグ・タングと呼ばれる)の上にある。
隣接する郡
- フランクリン郡 - 東
- チッテンデン郡 - 南
- クリントン郡 (ニューヨーク州) - 西
- カナダ・ケベック州オー・リシュリュー郡 - 北
| カナダ・ケベック州オー・リシュリュー郡 | ||||
| クリントン郡 (ニューヨーク州) | フランクリン郡 | |||
| チッテンデン郡 |
人口動態
| 人口推移 | |||
|---|---|---|---|
| 年 | 人口 | %± | |
| 1810 | 3,445 | — | |
| 1820 | 3,527 | 2.4% | |
| 1830 | 3,696 | 4.8% | |
| 1840 | 3,883 | 5.1% | |
| 1850 | 4,145 | 6.7% | |
| 1860 | 4,276 | 3.2% | |
| 1870 | 4,082 | −4.5% | |
| 1880 | 4,124 | 1.0% | |
| 1890 | 3,843 | −6.8% | |
| 1900 | 4,462 | 16.1% | |
| 1910 | 3,761 | −15.7% | |
| 1920 | 3,784 | 0.6% | |
| 1930 | 3,944 | 4.2% | |
| 1940 | 3,802 | −3.6% | |
| 1950 | 3,406 | −10.4% | |
| 1960 | 2,927 | −14.1% | |
| 1970 | 3,574 | 22.1% | |
| 1980 | 4,613 | 29.1% | |
| 1990 | 5,318 | 15.3% | |
| 2000 | 6,901 | 29.8% | |
| 2010 | 6,970 | 1.0% | |
| [19][20][21] | |||
以下は2000年国勢調査による人口統計データである。
|
基礎データ
人種別人口構成
先祖による構成
言語による構成 |
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
収入と家計 |