グラーツ大学
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| Karl-Franzens-Universität Graz | |
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| ラテン語: Carolo Franciscea Graecensis | |
| モットー | Gaudeamus igitur[1] |
|---|---|
| モットー (英語) | So let us rejoice (Latin) |
| 種別 | 公立 |
| 設立年 | 1585 |
| 提携関係 | non-denominational |
| 資金 | € 189.3 million |
| 学長 | Christa Neuper |
教員数 | 2,676[2] |
職員数 | 1,240[2] |
| 学生総数 | 31,580[2] |
| 所在地 |
オーストリア シュタイアーマルク州グラーツ |
| キャンパス | 都市 |
| コインブラ・グループ, ユトレヒト・ネットワーク | |
| 公式サイト | uni-graz.at/en |
グラーツ大学(グラーツだいがく、ドイツ語:Karl-Franzens-Universität Graz、英語:University of Graz)は、1585年に設立されたオーストリアのグラーツにある総合大学。オーストリアでは2番目に規模の大きい大学であり、ヨーロッパの名門大学による大学連盟コインブラ・グループに加盟している。
グラーツ大学は正式名称をカール・フランツェンス大学グラーツといい、1585年にオーストリア大公フェルディナント2世によって設立された、同市で最古の大学である。


大学の歴史のほとんどはカトリック教会によって統制され、教育機関の分野に渡って州政府の指揮権を得たいとするヨーゼフ2世の試みにより、1782年に一時閉鎖された。その後ヨーゼフ2世は大学を公務員や医療職員も育成できる、リセとして変容させた。1827年、大学はフランツ2世によって再び大学としての承認を受けると、シャルル(フェルディナンド)・フランツ大学という意味を表す「カール・フランツェンス大学」の名称を獲得した。2002年に大学法の改定により医学部が分離独立して、グラーツ医科大学になった。現在は3万人を越える学生が同大学で勉学に勤しんでいる。
発明家のニコラ・テスラは、1875年にグラーツ工科大学で電気工学を学んだ。
1898年、 犯罪学の父と言われるハンス・グロースが、グラーツ犯罪学研究所を設立した。
また、ノーベル賞受賞者のオットー・レーヴィは、1909年から1938年までこのグラーツ大学で教鞭をとっている。更に、1936年にエルヴィン・シュレーディンガーが、短期間ながらグラーツ大学学長を務めた。
学部
- 神学部
- 人文科学部
- 法学部
- 自然科学部
- 社会科学部
- カトリック神学部
ノーベル賞受賞者
これまでにグラーツ大学の卒業生または教授の10名がノーベル賞を受賞している。
- 1920 ヴァルター・ネルンスト:ノーベル化学賞
- 1923 フリッツ・プレーグル:ノーベル化学賞
- 1927 ユリウス・ワーグナー=ヤウレック:ノーベル生理学・医学賞
- 1933 エルヴィン・シュレーディンガー:ノーベル物理学賞
- 1936 オットー・レーヴィ:ノーベル生理学・医学賞
- 1936 ヴィクトール・フランツ・ヘス:ノーベル物理学賞
- 1947 ゲルティー・コリ:ノーベル生理学・医学賞
- 1961 イヴォ・アンドリッチ:ノーベル文学賞
- 1973 カール・フォン・フリッシュ:ノーベル生理学・医学賞
- 2019 ペーター・ハントケ(中退): ノーベル文学賞
著名な卒業生など
- ニコラ・テスラ - 発明家
- ルートヴィッヒ・ボルツマン - 物理学者
- アルフレート・ヴェーゲナー - 気象学者
- アレクシウス・マイノング - 哲学者
- ヨーゼフ・シュンペーター - 経済学者
- ハインリヒ・ハラー - 登山家、写真家
- カール・ベーム - 指揮者
- ヴィクトール・フランツ・ヘス - 物理学者
- イエロニモス2世 - ギリシャ正教首座主教
- エルンスト・ゼーリッヒ - ナチスの刑法学者