グレート・メフィスト
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グレート・メフィスト
メフィスト
ミステリアス・ミスター・スミス
エル・ディアブロ
インフェルノ1号
フランキー・ケイン
ジム・オルト
| グレート・メフィスト | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム |
ザ・グレート・メフィスト グレート・メフィスト メフィスト ミステリアス・ミスター・スミス エル・ディアブロ インフェルノ1号 フランキー・ケイン ジム・オルト |
| 本名 | ジェームズ・オルト[1][2] |
| ニックネーム | アラビアの妖鬼 |
| 身長 | 175cm[3] - 183cm[4] |
| 体重 | 110kg[4] - 114kg[3] |
| 誕生日 | 1932年8月13日[3] |
| 死亡日 | 2026年2月2日(93歳没)[1][3] |
| 出身地 |
ロス郡チリコシー[3] |
ザ・グレート・メフィスト(The Great Mephisto、本名:James Ault[1][2]、1932年8月13日[3] - 2026年2月2日[1])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オハイオ州チリコシー出身[3]。ギミック上の出身地はサウジアラビア[4]。生年は1936年ともされた[4]。
ザ・シークの影響下にあるアラブ人ギミックのヒールとして、NWAの各テリトリーで活動した[5]。ジョージア地区ではアブドーラ・ザ・ブッチャーらのマネージャーも務めた[6]。
父親はドイツ系ユダヤ人、母親はレバノンからの移民[7]。貧困地区で育ち、一時は路上生活をしていたこともあるが[1]、少年非行防止のためのスポーツクラブ施設にて10代半ばからレスリングとボクシングのトレーニングを積み、草拳闘のボクサーとしてカーニバルの巡業に加わっていたこともあるという[7]。
デビュー当初は地元オハイオのプロモーターだったアル・ハフトのもとで[7]、ジム・オルト(Jim Ault)の名義で活動[2]。1960年より、フランキー・ケイン(Frankie Cain)のリングネームでテネシーのミッドアメリカ地区やノースカロライナのミッドアトランティック地区、オクラホマのトライステート地区など各地を転戦[2]。1963年12月、アリゾナ州ツーソンにてドン・ケントを破りアリゾナ・ヘビー級王座を獲得[8]。1965年7月13日にはテネシー州メンフィスにてマイク・クランシーと組み、トージョー・ヤマモト&ミツ・ヒライからミッドアメリカ版のNWA南部タッグ王座を奪取した[9]。
1966年下期、フロリダにてロッキー・スミスをパートナーに、自身はインフェルノ1号、スミスはインフェルノ2号を名乗り、ジ・インフェルノス(The Infernos)なる覆面タッグチームを結成[10]。同年10月6日、トーナメントを制してフロリダ版のNWA世界タッグ王座を獲得。以降もホセ・ロザリオ&エディ・グラハム、ロザリオ&サム・スティムボートなどのチームと同王座を争った[11]。1968年下期からはテキサスのアマリロ地区に参戦、9月26日にドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクを破り、テキサス西部版のNWA世界タッグ王者にもなっている[12]。
1969年12月よりフロリダにてメフィストと名乗り、ダンテことボビー・ハートとのタッグチームで活動[13]。翌1970年の下期からはグレート・メフィスト(The Great Mephisto)としてシングルプレイヤーに転じ、8月13日にヒロ・マツダを下してNWA南部ヘビー級王座を獲得[14]。9月18日にはファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[15]。以降もフロリダを主戦場に、マツダやジャック・ブリスコ、ボブ・ループ、グレート・マレンコ、ティム・ウッズ、ジョニー・ウォーカーらと抗争を展開した[16]。
1972年6月よりカリフォルニアのサンフランシスコ地区に進出し、ラーズ・アンダーソンやルーク・グラハムと共闘[17][18]。1973年2月17日にパット・パターソンからフラッグシップ・タイトルのUSヘビー級王座を[19]、4月25日にはキンジ・シブヤと組んでパターソン&ロッキー・ジョンソンからサンフランシスコ版のNWA世界タッグ王座をそれぞれ奪取した[20]。同年下期からはフロリダに戻り、8月16日にポール・ジョーンズを破ってTV王座を獲得している[21]。
1974年1月15日にはダラス地区にてロザリオからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取、5月28日にレッド・バスチェンに敗れるまで戴冠し[22]、フリッツ・フォン・エリックやワフー・マクダニエルとも対戦した[23]。1975年はオーストラリアに遠征、同じアラブ人ギミックのスカンドル・アクバらを破り、NWA豪亜ヘビー級王座を2回獲得している[24]。以後、1970年代後半は古巣のフロリダやテネシーで活動。テネシーでは若手選手時代のロバート・ギブソンやテリー・ゴディなどと対戦した[25]。ゴディをマイケル・ヘイズと引き合わせ、ファビュラス・フリーバーズ結成のきっかけを与えたのは彼ともされる[1]。
1980年、ヒールのプレイング・マネージャーとしてジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに登場。アブドーラ・ザ・ブッチャー、マーク・ルーイン、トール・タナカ、キラー・カーン、マスクド・スーパースター、レイ・スティーブンス、トーア・カマタ、そして一時ヘイズと仲間割れしていたゴディらを担当し、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ミスター・レスリング2号、トミー・リッチ、トニー・アトラスなどベビーフェイス陣営との抗争を指揮した[6][26]。同年11月、ザ・シークのパートナーとして全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に来日[27]。開幕戦の後楽園ホール大会ではインフェルノス時代の旧敵ザ・ファンクス、最終戦の蔵前国技館大会ではジョージアでマネージメントしていたブッチャー&カマタと対戦した[28]。
その後は居住地のフロリダにてレフェリーを務める一方[5]、覆面レスラーのインフェルノ1号として、1980年代中盤まで試合にも時折出場していた[29]。2008年には日本のプロレス専門誌『Gスピリッツ』のインタビューにおいて、かつてオハイオ地区で邂逅した、アメリカ進出当時のカール・ゴッチのエピソードを語った[7]。2010年5月に重度の心臓発作に見舞われたが、一命を取り留めていた[5]。
得意技
獲得タイトル
- ワールド・アスレティック・アソシエーション
- アリゾナ・ヘビー級王座:1回[8]
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回[14]
- NWA世界タッグ王座(フロリダ版):3回(w / インフェルノ2号)[11]
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / インフェルノ2号)[32]
- NWAフロリダTV王座:1回[21]
- NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
- NWA世界タッグ王座(テキサス西部版):1回(w / インフェルノ2号)[12]
- NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / インフェルノ2号)[33]
- NWAサンフランシスコ
- NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回[19]
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / キンジ・シブヤ)[20]
- NWAビッグタイム・レスリング
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回[22]
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)