ケテヴァン (エレクレ2世の娘)
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ケテヴァンは1764年にカルトリ=カヘティ王エレクレ2世と王妃ダレジャン・ダディアニの娘として生まれた。ケテヴァンは1781年頃に、当時の著名な軍人・政治家であったムフラニ公イオアネと結婚した.[1]。
1801年に王国がロシア帝国に併合された後、ケテヴァンは内カルトリのゴリ近郊にある世襲の村カラレティを没収された。
1804年、ジョージアに赴任していたグルジア県司令官パーヴェル・チツィアノフ公は、追放された旧王族たちが起こしたムティウレティ蜂起を鎮圧した。チツィアノフ公は、この蜂起に関与したとしてケテヴァンに疑いをかけた。またロシアの工作員は、ペルシアからジョージアの要人宛てに送られた書簡(ファルマーン)を傍受した。その宛先には、ケテヴァンの息子コンスタンティネも含まれていた[2]。その結果、チツィアノフ公は1805年にケテヴァンを一時的に逮捕した。ケテヴァンは投獄中、「ああ、なんと言えばいいのだろう」(ჰოი, ვითარ ვსთქვა)という叙事詩を著した。この詩はロマン主義的なイメージを用いて、ジョージアの君主制の崩壊を表現している。ケテヴァンは「小さな雲がアジアの星を暗くし、幸福な宮殿を荒廃させ、美しい庭園が咲き誇るのを阻んでいる」と述べている[3]。
家族
ケテヴァンはムフラニ公イオアネと結婚し、7人の子供をもうけた[4] 。
- コンスタンティネ4世 (1782–1842) - 最後のムフラニ公。ロシア帝国陸軍中将。ホレシャン・グラミシヴィリ(1786年–1831年)と結婚。
- テイムラズ(1784年–1833年) - 最初にオルベリアニ公女(1820年没)と結婚、次にエカテリーナ・アルチョーモヴナ・アキモワ(1827年以前没)と結婚。
- グリゴル (1787年–1861年) - ロシア帝国陸軍少将。マリアム・ツェレテリ(1807年–1877年)と結婚。
- バルバレ(1790年–1843年) - クサニ公トルニケ・エリスタヴィ(1770年–1860年)と結婚。
- ダヴィト(1793年–1878年) - ソフィア・ソロモヴナ・ムハルグドゼリ=アルグタシュヴィリ公女(1834年没)と結婚。
- タマル(1798年–1851年) - ザカリ・パラヴァンディシュヴィリ公爵(1796年生)と結婚。
- イラクリ(1800年–1816年頃)
貴族名鑑『バークズ・ピアレージ』によると、ケテヴァンはアベル・アンドロニカシヴィリと再婚したという記述がある[1]。この記述は、近年のジョージア王室の系図学者からは信頼できないとされている[5]。