ケテヴァンは、カヘティ王テイムラズ2世(ジョージア語版)と、その2番目の妻であるカルトリ王女タマル(ジョージア語版)の間に生まれた長女である。
1737年、自らの王位を確固たるものにするため戦争の最中にあったテイムラズ2世は、宗主であるアフシャール朝イランの統治者ナーディル・シャーに召喚された。忠誠を示すため、テイムラズ2世はナーディル・シャーが提示した条件に同意せざるを得なかった。その条件には、娘ケテヴァンをナーディル・シャーの甥アリ=コリ・ハーンと結婚させること、さらに息子エレクレをナーディル・シャーのインド遠征に従軍させることが含まれていた。テイムラズ2世は、この取引を自叙伝的な詩の中で嘆いている。結婚式はマシュハドで執り行われた。この式にはテイムラズ2世と2,500人の随行員が出席した。ケテヴァンのその後の動向は不明である。
ケテヴァンの夫アリ=コリ・ハーンは、テイムラズ2世およびジョージア人と友好的な関係を維持した。アリ=コリ・ハーンは、ジョージア系の出自を持つ宰相(ワズィール)のソフラーブ・ハーンを重用した。アリ=コリ・ハーンは1747年から1748年にかけて、崩壊しつつあったアフシャール朝を、アーディル・シャーとして統治した。この短い在位期間中、アーディル・シャーは義父であるテイムラズ2世と贈り物の交換を行っている。1748年、アーディル・シャーは弟のイブラーヒーム・ハーンの謀反によって廃位となった。その後、アーディル・シャーは1749年に殺害された[1][2][3][4]。