ケリー・キニスキー

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リングネーム ケリー・キニスキー
マスクド・スーパースター2号
本名 ケリー・キニスキー
ニックネーム 荒法師2世
身長 187cm[1] - 190cm[2]
ケリー・キニスキー
プロフィール
リングネーム ケリー・キニスキー
マスクド・スーパースター2号
本名 ケリー・キニスキー
ニックネーム 荒法師2世
身長 187cm[1] - 190cm[2]
体重 118kg[2] - 120kg[1]
誕生日 (1960-05-27) 1960年5月27日(65歳)[3]
出身地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州の旗 アルバータ州
カルガリー[2]
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ジン・キニスキー
デビュー 1980年[3]
引退 1987年[2]
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ケリー・キニスキーKelly Kiniski1960年5月27日[3] - )は、カナダアルバータ州カルガリー出身の元プロレスラー。生年は1958年ともされる[1]

第45代NWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーの長男[1]。実弟のニック・キニスキーも元プロレスラーであり、兄弟とも父親に倣い、前面に「CANADA」、背面に「KINISKI」の文字が縫い取られたブルーのトレーニングウェアをリングコスチュームにしていた[3]

父親ジン・キニスキーのトレーニングを受け、カルガリースタンピード・レスリングにおいて1980年8月にデビュー[3]。ジン・キニスキーが主宰していたバンクーバーのオールスター・レスリングでは、親子タッグを組んでザ・デストロイヤー&ムース・モロウスキーなどのチームと対戦した[4]1981年フロリダルイジアナセントルイスなどアメリカ合衆国本土を転戦。NWAフロリダ地区では、かつて父親からNWA世界ヘビー級王座を奪取したドリー・ファンク・ジュニアとも対戦している[5]

1982年1月、全日本プロレスに初来日。天龍源一郎阿修羅・原とのシングルマッチが組まれ、デストロイヤー、マーク・ルーインニコライ・ボルコフジプシー・ジョーパット・オコーナー、そして前年末に新日本プロレスから引き抜かれたスタン・ハンセン上田馬之助のパートナーとなってのタッグマッチでは、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田とも対戦した[6]

帰米後、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に進出[7]ベビーフェイスのポジションでサージェント・スローターイワン・コロフなどのジョブ・ボーイを務めた後、1983年よりヒールに転向。同年5月23日、空位となっていたNWAミッドアトランティック・タッグ王座の争奪トーナメントにワンマン・ギャングと組んで出場、準決勝でジミー・バリアント&バグジー・マグロー、決勝でマイク・ロトンド&ルーファス・ジョーンズを破り、新王者チームとなった(前王者チームはリッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド[8]

1984年1月の全日本プロレスへの再来日後[9]、同じシリーズに来日したファビュラス・フリーバーズが主戦場としていたテキサス州ダラスのWCCWに参戦、2月20日にアイスマン・キング・パーソンズからTV王座を奪取した[10]。後に負傷のためキラー・カーンにタイトルを譲渡したが、以降もWCCWを主戦場に、ケビン・フォン・エリックケリー・フォン・エリックジュールズ・ストロンボーバック・ズモフスコット・ケーシーホセ・ロザリオビリー・ジャック・ヘインズらと抗争した[11][12]

その後、髪型を父親と同じクルーカットにしてAWAに登場、レイ・スティーブンスジェリー・ブラックウェルモンゴリアン・ストンパーケビン・ケリーマーティ・ジャネッティビル・アーウィンなどと対戦した[13]1986年2月にはビル・ワット主宰のMSWAにて覆面レスラーマスクド・スーパースター2号The Masked Superstar #2)に変身し、1号のビル・イーディーのパートナーとなってディック・マードックバズ・ソイヤーとも共闘。2月28日のヒューストンでのイベントでは、ジム・ドゥガンテッド・デビアススティーブ・ウィリアムステリー・テイラー組との8人タッグマッチに出場している[14]

将来が有望視されていたが[1]、大成することのないまま1987年に引退した[2]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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