ジェイ・ヤングブラッド

From Wikipedia, the free encyclopedia

リングネーム ジェイ・ヤングブラッド
ザ・レネゲード
シルバー・ストリーク
スティーブン・ロメロ
ニッキー・ロメロ
本名 スティーブン・ニクラス・ロメロ
ニックネーム 赤き狼
身長 180cm
ジェイ・ヤングブラッド
ジェイ・ヤングブラッドの画像
1979年
プロフィール
リングネーム ジェイ・ヤングブラッド
ザ・レネゲード
シルバー・ストリーク
スティーブン・ロメロ
ニッキー・ロメロ
本名 スティーブン・ニクラス・ロメロ
ニックネーム 赤き狼
身長 180cm
体重 98kg(全盛時)
誕生日 1955年6月21日
死亡日 (1985-09-02) 1985年9月2日(30歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
サンバーナーディーノ郡フォンタナ[1]
トレーナー リッキー・ロメロ
ドリー・ファンク・ジュニア
テンプレートを表示

ジェイ・ヤングブラッド"The Renegade" Jay Youngblood、本名:Steven Nicolas Romero1955年6月21日 - 1985年9月2日)は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州フォンタナ出身[1]

インディアンギミックベビーフェイスとして活躍し、リッキー・スティムボートとのアイドル系タッグチームで人気を博した[2]。父親のリッキー・ロメロ、弟のマーク・ヤングブラッドクリス・ヤングブラッドもプロレスラーである。

デビュー当時は、父のリッキー・ロメロが主戦場としていたテキサス州アマリロ地区にて、シルバー・ストリークSilver Streak)のリングネームで活動[3]1976年2月27日にロメロとのコンビでレオ・バーク&ザ・ビーストを破り、NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得している[4]

その後、ジェイ・ヤングブラッドJay Youngblood)に改名して、オレゴンおよびワシントン州をサーキット・エリアとする太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)にて活動。1977年10月には全日本プロレスに初来日、インディアン・レスラーの大御所ワフー・マクダニエルのパートナーを務めた[5]

1979年よりジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に進出して、リッキー・スティムボートとタッグを結成。同年10月24日、ポール・ジョーンズ&バロン・フォン・ラシクを破り、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得した[6]。以降、レイ・スティーブンス&グレッグ・バレンタイン、スティーブンス&ジミー・スヌーカなどのチームと抗争を繰り広げ、同地区を代表する人気コンビとなる。1980年4月21日にはWWFにもゲスト出場、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてトーア・カマタ&ブルドッグ・ブラワーから勝利を収めた[7]

1981年は単身で古巣のPNWをサーキットし、NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を巡りバディ・ローズと抗争[8]1982年5月にはスティムボートと共に全日本に再来日、6月1日に札幌中島スポーツセンターにて大仁田厚NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座にも挑戦した[9]。全日本には同年11月の世界最強タッグ決定リーグ戦にもスティムボートとのコンビで出場[10]、開幕戦でのスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディミラクルパワーコンビとの対決は名勝負として語り草となった[11]

以降も本国ではNWAミッドアトランティック地区を主戦場にスティムボートと組んで活躍、1983年にはサージェント・スローター率いるコブラ・コープス(スローター、ドン・カヌードル&ジム・ネルソン)やブリスコ・ブラザーズ(ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコ)とNWA世界タッグ王座を争った[6]

1984年よりマーク・ヤングブラッドとのインディアン兄弟コンビでフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦して、1985年1月1日にクラッシャー・クルスチェフ&ジム・ナイドハートからNWA USタッグ王座を奪取[12]。その後も同王座を巡り、ココ・ウェアノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングス(PYTエクスプレス)と抗争した。

同年9月2日、遠征先だったオーストラリアメルボルンで心臓発作を起こし死去[1]30歳没[1]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI