ゲイル・ディバース

From Wikipedia, the free encyclopedia

フルネーム ヨランダ・ゲイル・ディバース
生年月日 (1966-11-19) 1966年11月19日(58歳)
ゲイル・ディバース Portal:陸上競技
Devers during her induction to the National Track and Field Hall of Fame, 2011
選手情報
フルネーム ヨランダ・ゲイル・ディバース
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
種目 短距離走100m障害走
生年月日 (1966-11-19) 1966年11月19日(58歳)
生誕地 ワシントン州シアトル
身長 160cm
体重 52kg
自己ベスト
100m 10秒82 (1992年)
100mハードル 12秒33 (2000年)
獲得メダル
陸上競技
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1992 バルセロナ100 m
1996 アトランタ100 m
1996 アトランタ4 x 100 m
世界陸上競技選手権大会
1991 東京100mH
1993 シュトゥットガルト100m
1993 シュトゥットガルト100mH
1995 イェテボリ100mH
1999 セビリャ100mH
2001 エドモントン100mH
IAAFグランプリファイナル
1996 ミラノ100mH
2000 ドーハ100mH
2002 パリ100mH
パンアメリカン競技大会
1987 インディアナポリス100m
1987 インディアナポリス4×100mリレー
編集 テンプレートのヘルプを表示する

ヨランダ・ゲイル・ディバースYolanda Gail Devers, 1966年11月19日 - )は、アメリカ合衆国陸上競技選手である。1992年バルセロナオリンピック1996年アトランタオリンピック100 mの金メダリストである。

ディバースは、100 m100mハードルの選手として若い頃から非常に有望視されていた。ところが1988年ソウルオリンピックに向けてトレーニングしていた頃から偏頭痛や視力の悪化などに悩まされるようになっていた。

1988年ソウルオリンピックには100mハードルの選手として出場し、準決勝に残った。

しかし、彼女の健康状態はますます悪化していった。1990年バセドウ病と診断され、放射線治療を始めることとなった。驚くべきことに、彼女の健康状態は早急に回復し再び練習をすることができるようになり、1991年世界陸上にも出場し、100mハードルで銀メダルを獲得した。

1992年バルセロナオリンピックではディバースはスターだった。100 mの決勝では上位5人が100分の6秒差という僅差の中、写真判定によりジャマイカジュリエット・カスバートを下し、金メダルを獲得した。彼女は得意とする100mハードルでも金メダルを期待された。そして決勝では序盤から順調に飛び出し、2位以下を大きく突き放して金メダル確実と思われた瞬間、最終10台目のハードルに足を引っ掛けて、前につんのめり、転倒しそうになりながらゴール。このときギリシャパラスケビ・パトリドゥ以下4人に追い抜かれ5位という結果に終わった。

1993年世界陸上では100 mで、ジャマイカのマリーン・オッティとの同タイムのデッドヒートの上、金メダルを獲得。100mハードルでも金メダルを獲得し2冠を達成した。

1995年世界陸上でも、100mハードルで優勝し、2連覇を達成した。

1996年アトランタオリンピックの100mは、3年前の世界陸上のような展開となった。オッティとディバースは10秒94の同タイムでフィニッシュ。どちらが勝ったか見ただけではわからなかったが、ディバースが先着と判定され、金メダルを獲得。1964年1968年の大会を制した、ワイオミア・タイアス以来となる女子100 mの連覇となった。100mハードルでも期待されたが、4位に終わりメダル獲得とはならなかった。しかし4×100mリレーではアメリカチームの一員として金メダルを獲得し、オリンピックで3つめの金メダルを獲得した。

この大会の後、ディバースはハードルに集中していくこととなる。1999年世界陸上を制したが、2000年シドニーオリンピックでは準決勝で途中棄権により敗退している。

実績

自己ベスト

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI