コンコ・テムル
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事蹟
コンコ・テムルが史料上に現れるのはブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)の治世からで、延祐5年(1318年)には「嘉王」に封ぜられている[2][3]。
イェスン・テムル・カアン(泰定帝)の治世の泰定2年(1325年)においてコンコ・テムルは「嘉王」から「并王」へと改封された[4]。翌泰定3年(1326年)には同じモンケ家のチェチェクトゥとともにカアンの元を訪れているが[5]、この頃はモンケ・ウルス宗主たるチェチェクトゥの下位の王族として記録されている[6]。
後至元元年(1335年)、大元ウルスではウカート・カアン(順帝トゴン・テムル)を擁立し実権を握ったバヤンに対するクーデター計画が進行していた。このクーデター計画にコンコ・テムルも参加していたが[7]、この計画はモンケ・ウルス宗主たるチェチェクトゥの密告によって瓦解した[8]。同年、コンコ・テムルは流刑と決定したが[9]、その後まもなく自殺してしまった。