コンピラ山古墳
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別名
コンピラ古墳
所属
馬見古墳群(南群うち築山古墳群)
| コンピラ山古墳 | |
|---|---|
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墳丘 | |
| 別名 | コンピラ古墳 |
| 所属 | 馬見古墳群(南群うち築山古墳群) |
| 所在地 | 奈良県大和高田市築山字今屋敷 |
| 位置 | 北緯34度31分24.70秒 東経135度44分1.95秒 / 北緯34.5235278度 東経135.7338750度座標: 北緯34度31分24.70秒 東経135度44分1.95秒 / 北緯34.5235278度 東経135.7338750度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径95m 高さ12.7m |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 出土品 | 埴輪 |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 史跡 | なし |
| 地図 | |
コンピラ山古墳(こんぴらやまこふん)は、奈良県大和高田市築山にある古墳。形状は円墳。馬見古墳群(南群のうち築山古墳群)を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

築山古墳群
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。奈良盆地西部、馬見丘陵南端において築山古墳(磐園陵墓参考地)の東側に築造された大型円墳である(かつては築山古墳の陪塚と想定された)。現在までに墳丘裾部が削平を受けているほか、近年に範囲確認の発掘調査が実施されている[1]。
墳形は円形で、直径95メートル・高さ12.7メートルを測り(発掘調査以前は直径55メートルとされた)[1]、奈良県内の円墳としては富雄丸山古墳(奈良市、直径109メートル)に次ぐ規模になる。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面ではテラス部・墳頂部で円筒埴輪列が検出されているほか、墳頂部からは盾形・家形埴輪が、墳丘斜面からは蓋形埴輪が出土している[1]。特に円筒埴輪のうち2本の中からはミニチュア土器が出土した点で注目される(類例は乙女山古墳・渋谷向山古墳などで知られる[2])。また墳丘周囲には周濠が巡らされる[1]。埋葬施設は明らかでなく、副葬品も詳らかでない。
このコンピラ山古墳は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃の築造と推定される[3][1]。馬見古墳群では、巣山古墳・乙女山古墳、新木山古墳・三吉石塚古墳、倉塚古墳・三吉古墳、築山古墳・コンピラ山古墳のように大型前方後円墳と帆立貝形古墳(または大型円墳)が近接するという特徴が認められており、ヒメヒコ制との関連性を指摘する説が挙げられている[1]。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 河上邦彦「コンピラ古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 河上邦彦『大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(シリーズ「遺跡を学ぶ」026)』新泉社、2006年。ISBN 978-4787706362。