コーリー・パターソン
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
ブルージェイズ時代(2011年6月4日) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | ジョージア州アトランタ |
| 生年月日 | 1979年8月13日(46歳) |
| 身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト1巡目(全体3位) |
| 初出場 | 2000年9月18日 ブルワーズ戦 |
| 年俸 | $850,000(2011年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
ドナルド・コーリー・パターソン(Donald Corey Patterson , 1979年8月13日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
弟のエリック・パターソンもプロ野球選手。
ジョージア州にあるハリソン高等学校に在学時の1998年にシカゴ・カブスからドラフト1巡目(全米3位)で指名され入団。1999年に発表されたベースボール・アメリカの有望株ランキングで1位の評価を受けた。2000年の開幕をAA級のウェストテン・ダイヤモンドジャックスで迎え、22本塁打・82打点を記録した。ここでのプレーオフ終了後、メジャー昇格。
9月18日にミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビューを果たした。次の試合でメジャー初ヒットをホアン・アセベドからホームランで記録した。
2001年はフルシーズンメジャーでプレーできなかったが、2002年は153試合に出場し打率.253を記録した。2003年は更に成績を上げ83試合までで打率.298、55打点を記録していたが、7月6日のセントルイス・カージナルス戦で左膝の靭帯を断裂する大怪我を負い、そのままシーズンを終了した。
2004年157試合で打率.266、24本塁打、72打点、32盗塁をあげシーズン通して自己ベストを更新した。2005年は非常は見合った成績が上げられず、7月7日AAA級のアイオワ・カブスに落ち、8月9日にジェリー・ヘアストン・ジュニアが負傷したことをうけてメジャーに再昇格した。
2006年1月9日にマイナーリーガー2選手とのトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍した。ここでアメリカンリーグ3位の45盗塁を記録した。2007年終了後契約更新されなかった。
2008年3月3日、シンシナティ・レッズとマイナー契約。シーズン開幕前に40人のロースターに登録された。開幕後は好調だったが徐々に調子を落としだし、5月25日AAA級のルイビル・バッツに降格したが、故障者がでたため1週間でメジャーに再昇格した。しかし調子はあがらずシーズンを終えた。12月18日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約。
2009年7月29日にナショナルズから戦力外通告を受けた。8月1日、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。その後12月にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。
2010年4月21日、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約。12月21日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約。
2011年7月27日にブルージェイズ、シカゴ・ホワイトソックス、セントルイス・カージナルス間での三角トレードでカージナルスに移籍。10月31日にFAとなる。
2012年1月30日、ブルワーズに復帰したがメジャー出場はなく、11月3日にFAとなった。
2013年1月30日、ニューヨーク・メッツに入団。しかし3月30日に放出され、4月30日にシアトル・マリナーズに入団。6月6日に再び放出され、6月21日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[2]。11月5日にFAとなった。
