ゴルトン・ワトソン過程
From Wikipedia, the free encyclopedia

ゴルトン・ワトソン過程(ゴルトン・ワトソンかてい、英: Galton–Watson process)、ビエネメ・ゴルトン・ワトソン過程(ビエネメ・ゴルトン・ワトソンかてい、英: Bienaymé–Galton–Watson process)、またはゴルトン・ワトソン分枝過程(ゴルトン・ワトソンぶんしかてい、英: Galton–Watson branching process)は確率過程、特に分枝過程の一種。子孫の性別がランダムである一方で姓が父系制である(男児のみ姓を引き継ぐ)場合の姓の「絶滅」をモデル化する(その姓をもつ家系が男児を残せなかった場合、その姓を名乗る人物はいなくなる)。このモデルはフランシス・ゴルトンの提起した姓の絶滅に関する統計的調査の際に出現する[1][2]。
この過程に対するゴルトンの調査は確率論の下位分野としての分枝過程の基礎を築いた。ゴルトン・ワトソン過程をはじめとした様々な分枝過程は、集団遺伝学、計算機科学、その他の分野で数多くの応用を見出している。[3]
ヴィクトリア朝の人々の中には、貴種の姓が絶滅しつつあるという懸念があった。[4]
1869年、イギリスの学者フランシス・ゴルトン(英: Francis Galton)は「Hereditary Genius」を出版する。その本で、ゴルトンは異なる社会集団の絶滅について論じた。
1873年、ゴルトンはThe Educational Times誌に単純な数学モデルとして定式化された集団における、姓の分布について次のような数学的問題提起を行った[5]:
ある大きな国では成人男性が 人いて、それぞれ異なる姓を持つとする(なお、この問題では成人男性のみを考察する)。この国の人口動態によると、成人男性が成人まで成長する男子を0人、1人、...、5人持つ確率は、それぞれである。この時、
(1) 世代後、何割の姓が絶滅しているだろうか?
(2) ある特定の姓を名乗る人間が 人だけいるケースはいくつ存在するか?
これに対して、ワトソン牧師が解決策とともに返答した[6]。その後、彼らは共同で1874年にJournal of the Anthropological Institute of Great Britain and Ireland誌(現・Journal of the Royal Anthropological Institute誌)に「家系の絶滅確率について(英: On the probability of the extinction of families)」と題する論文を発表した。 ゴルトンとワトソンは、Bienayméによる先行研究とは独立にこの過程を開発したようである[7]。ただし、彼らの解によれば全ての姓は確率1で絶滅することになるため、解は不完全であった。
この問題に対する解答は1845年の時点でBienayméにより導出されており、その導出過程は後年に発表すると約束されていたが、彼による導出は今のところ確認されていない (ただし、Bru (1991)は証明の再構築を主張している)。BienayméはÉmile Littréや友人のLouis-François Benoiston de Châteauneuf[8]から着想を得たとされている。
1847年、フランスの学者クールノーは「De l'origine et des limites de la correspondance entre l'algèbre et la géométrie」という本の第5章、第36節にて解を公表した[9]。クールノーの定式化のもとでの問題は以下の通り:
ギャンブラーがある宝くじを買うとする。それぞれのくじは1エキュで購入でき、それぞれ の確率で エキュの配当が得られる。各ラウンドで、ギャンブラーは所持金全てを宝くじの購入に充てるものとし、ラウンド1の開始前の時点ではこのギャンブラーは1エキュだけ持っているものとする。 を、 ラウンドの開始前の段階でギャンブラーが破産している確率とするとき、の極限値はいくらであるか?
イギリスのロナルド・フィッシャーは、1922年に遺伝学において本質的に同じ問題を研究した。 ここでは、「姓の絶滅」ではなく、大規模集団の中で変異遺伝子が最終的に消滅する確率を研究した[10]。 イギリスのホールデンもまた、この問題を1927年に解いている[11]。
デンマークの学者アーランは著名なクラルプ家の出身であったが、生家クラルプ家は絶滅の最中にあった。1929年、彼は子供を残さず死亡したが、彼の死亡記事の横には同じ問題が掲載された。これは Johan Frederik Steffensen によって1930年に解決された。
より詳細な歴史については Kendall (1966[12]; 1975[8]) および文献[13]、または文献[14]のセクション17を参照せよ。
概念
数学的定義
ゴルトン・ワトソン過程は、確率過程 であって、 および以下の再帰式
により発展するものを指す。ここで、 は、非負整数を値としてとる独立同分布な確率変数である。
姓のアナロジーでは、 は 世代目にその姓を名乗っている男性の数を、 は彼らのうちの 番目の男性の男児の数を表しているとみなせる。再帰式が意味していることは、 世代目にその姓を名乗っている男性の数は、 世代目にその姓を名乗っている男性全員が産んだ男児の数に等しいということである。
絶滅確率、すなわち最終的にその姓を名乗る人間がいなくなる確率は
である。集団の各男性がちょうど1人の息子を持つ場合、これは明らかに0に等しくなり、通常は自明な場合(英: trivial case)と呼ばれる。自明な場合を除けば、絶滅確率に関する単純な必要十分条件が存在する。
ゴルトン・ワトソン過程における絶滅条件
両性ゴルトン・ワトソン過程
上記のゴルトン・ワトソン過程による考察では、姓を引き継ぐのが男児のみであるため、男性の数だけを考慮すれば良い。これは実効的には生殖が無性生殖であるとするような仮定である。同様に、ミトコンドリアは母親からのみ遺伝するので、ミトコンドリア遺伝を分析する場合は女系のみを考慮すれば十分である。
より現実の有性生殖に即したモデルとして、男女からなるカップルだけが生殖を行ういわゆる「両性ゴルトン・ワトソン過程(英: bisexual Galton–Watson process)」と呼ばれるものがある[15](なお、この文脈における「両性」は男女両方が考慮に入れられていることを指し、両性愛のことではない)。この過程においては、それぞれの子どもは男児もしくは女児であり、いわゆる「交配関数(英: mating function)」が特定の世代においていくつのカップルが形成されるかを決定する。古典的なゴルトン・ワトソン過程と同様に、各カップルが産む子供の数・性別の比率は独立同分布であるとする。この場合の自明なケースは、各カップルは各男女が正確に一組のカップルを形成し、男女の子供を1人ずつ持つとし、そして交配関数は男性の数と女性の数のうちの少ない方(2世代目以降は同数)を取るものとした場合である。
絶滅条件
非自明な場合において、カップルあたりの平均再生算数が全世代を通じて有界であり、かつ十分に大きい集団に対して1を超えないならば、最終的な絶滅確率は常に1となる。
姓の絶滅への応用
ゴルトン・ワトソン過程の歴史的事例を引用することは、姓の歴史が理論モデルから大きく逸脱することが多いため複雑である。特に、新しい姓が創出される可能性があり、既存の姓は個人の生涯を通じて変更され得る。また、歴史上、人々は無関係な人物、特に貴族の姓を名乗ることが頻繁にあった。したがって、現存する姓の数が少ないこと自体は、姓が時間の経過とともに消滅した証拠とはならず、またそれが姓の系統が断絶したためである証拠ともならない。後者を立証するには、過去に姓がより多く存在し、それが系統の断絶によって消滅したことを示す必要がある。他の理由(例えば家臣が主君の姓を名乗るなど)による姓の変更では不十分なのである。
姓の絶滅についてよく研究された例として、中国人の姓がある。現在、中国で名乗られている姓はおよそ3,100通りであるが、過去には12,000通りあった記録がある[16][17]。人口の22%(約3億人)が李、王、張のいずれかを名乗り、全姓の6.5%に過ぎない上位200の姓が人口の96%を占める。姓の変更や絶滅はさまざまな要因により発生してきている。例えば、人々が支配者の姓を名乗るようになったこと、表記の簡略化、皇帝の名前に含まれる文字の使用を禁じる慣習などが挙げられる[17]。家系断絶は姓の絶滅の要因の一つではあるが、決して唯一の要因ではなく、それどころか重要な要因ですらない。 実際、 姓の頻度に影響を与える最も重要な要因は、他の民族集団が漢民族として自認し漢姓を採用することである[17]。 さらに、様々な理由で新しい姓が生まれた一方で、古い姓が消滅する傾向の方が優勢であった[17]。
対照的に、一部の国では姓が採用されたのはごく最近のことである。これが意味することは、それらの国民が長期間にわたって姓の消滅を経験していないことと、その国での姓が(古代の少人数時代ではなく)国民が比較的多かった時期に採用されたことを意味する[17]。さらに、これらの姓は創造的に選ばれることが多く、非常に多様性に富んでいる:
- 日本人の姓は、一般的には19世紀後半の明治維新以降(当時の人口は三千万人以上)に定着したものである。現在でも十万以上の多様な姓が名乗られており、政府により夫婦同姓が規定されている。
- オランダでは19世紀初頭のナポレオン戦争以降、多くの人名には正式な姓が含まれるようになった。それ以前の姓は父称(例:Jansen = Johnの息子)[18]、個人の特徴 (例:de Rijke = 富豪)、地理的特徴(例:van Rotterdam)、職業(例:Visser = 漁師)などからなり、これらを組み合わせたものまであった(例: Jan Jansz van Rotterdam)。現在でも68,000を超える姓が名乗られている。
- タイでは、名前に姓が含まれるようになったのは1920年以降であり、他人の姓姓を名乗ることを避ける風習も手伝って、タイの姓は非常に多い。さらに、タイ人は姓を頻繁に変更するため、分析を複雑にしている。
一方で、姓の集中度が高い事例の中には、ゴルトン・ワトソン過程が主たる原因ではないものもある:
- ベトナムで名乗られる姓は100程度であり、3つの姓を人口の60%が名乗る。阮(グエン)という姓だけで、ベトナム人口のほぼ40%が使用していると推定され、90%が15の名前を共有している。 しかし、阮姓の歴史が示すように、これには強制的な姓の変更や血縁関係とは無関係な理由で名乗られるケースも少なくない分量で寄与している。
他分野への応用
現代では、ゴルトン・ワトソン過程は新しい突然変異遺伝子の生存確率、核連鎖反応の開始、エピデミック初期段階における拡散、小規模な生物個体群の絶滅などといった分野にも応用される。
核分裂
1930年代後半に、ユダヤ人学者のレオ・シラードは核分裂反応における自由な中性子の振る舞いを記述する上で、ゴルトン・ワトソン過程を独立に発見した。この研究では絶滅確率の式が一般化されており、その式は核分裂性物質を用いた連続的な連鎖反応に必要な臨界質量を計算する上で不可欠となった[19]。
遺伝学
ゴルトン・ワトソン過程はY染色体の伝達を記述する。したがって、このモデルはヒトのY染色体ハプログループを理解する上で有用である。母親からのみ遺伝するミトコンドリアの伝達も、同じ式で記述することができる[20]。