Wikiwand AI

サーバートン

From Wikipedia, the free encyclopedia

欧字表記 Sir Barton
性別 牡
サーバートン
1919年5月19日ピムリコ競馬場にて
(J.ロフタス騎乗、プリークネスステークス)
欧字表記 Sir Barton
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 栗毛
生誕 1916年
死没 1937年10月30日
父 スターシュート
母 レディースターリング
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 John E. Madden
Vivian A. Gooch
馬主 J.E.Madden
→J.K.L.Ross
調教師 H.Guy Bedwell(アメリカ)
→W.S.Walker(アメリカ)
競走成績
生涯成績 31戦13勝
獲得賞金 116,857ドル
テンプレートを表示

サーバートン(Sir Barton、1916年 - 1937年)とは、1918年から1920年にかけて活躍したアメリカ合衆国の競走馬である。

1919年に史上初の現行アメリカクラシック三冠を達成した。

年度別競走成績

サーバートンは1916年にケンタッキー州で生まれる。そこそこの良血馬で、父がアメリカリーディングサイアー5回を獲得したスターシュート、母がレディースターリングであった。生産者であるジョン・エドワード・マッデンとヴィヴィアン・グーチはこの仔馬を1918年にカナダ人のビジネスマン、ジョン・ケネス・ラソン・ロスに1万ドルで販売している。そしてH.G.ベドウェルに調教を受けることになった。

デビュー戦は2歳の6月に出走したトレモントステークスで、ここを6着に敗退した。以後も惨敗続きで、フューチュリティステークスで2着に入ったのが唯一の好走であり、それ以外はすべて大差で負けるという芳しくないものであった。

しかし、翌年サーバートンはケンタッキーダービーに出走し2番人気に推された。もっとも、これは僚馬ビリーケリーが注目されていたからであり(欧米では馬主単位で馬券が発行されるため、ビリーケリーとサーバートンで1つの馬券になる)、サーバートンはビリーケリーのペースメーカーに過ぎなかった。だが、結果はサーバートンがビリーケリーを5馬身差突き放し圧勝してしまった。ケンタッキーダービーがサーバートンの初勝利である。そして4日後にプリークネスステークスを4馬身差で連勝、さらにベルモントステークスにも5馬身差で楽勝、史上初の現アメリカ三冠を達成した(ただしこの時点でのアメリカは三冠体系が整っていなかったため、サーバートンが三冠馬と呼ばれるようになったのはもっと後になってからである)。この年、米年度代表馬に選出されている。

サーバートンは4歳になっても活躍し、サラトガハンデキャップではレコードでエクスターミネーターを破っている。だが、ケニルワースパークゴールドカップ(マンノウォーとのマッチレース)でマンノウォーの前に敗れてしまった。このため現在サーバートンが最強馬と呼ばれることは皆無である。レースはマンノウォーが先行し、その1馬身後方をサーバートンが追いかける展開、だがその差は縮まることはなくマンノウォーが7馬身差でゴールし、完敗となった。

その後3戦したが、3・3・2着と勝てずに引退した。

1918年(6戦0勝)
1919年(13戦8勝)
ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス、ウィザーズステークス
1920年(12戦5勝)
サラトガハンデキャップ、ドミニオンハンデキャップ、マーチャンツ&シッツハンデキャップ

引退後

引退後は種牡馬入りしたが、それほどの成功を収めることはなかった。代表産駒にケンタッキーオークスに優勝したイースターストッキングがいる。

種牡馬引退後は米国陸軍の軍馬となったのち、1937年に死亡し、ララミー山脈の山麓にある牧場に埋葬された。現在、サーバートンを記念する記念碑がワイオミング州コンバースカウンティーのワシントンパークにある。

評価

血統表

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks