ザブハン川
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モンゴル帝国時代には第4代皇帝モンケ・カアンの一族の領地であったようで、『集史』クビライ・カアン紀には帝位継承戦争中にモンケの息子ウルン・タシュが「ザブハン・ムレン(جابقان موران/jābqān mūrān) と呼ばれる河川[2]」にいたとの記録がある[3]。
古くは査巴哈と記され、清代には札布噶河と音写されていた[4]。ザブハン川流域は17世紀以降ジューンガルとハルハが抗争する地域となっており、清軍のジューンガル遠征に従軍した方観承の記述には「ハルハの兵のザブハン川を守る者は、河魚を食料とし多くが病となった。ザブハンを訳して流沙と言った」との一節がある[5]。清朝が北モンゴルを完全に支配下に置くと、サイン・ノヤン部左翼中旗などの遊牧地とされた。