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ザ・グラップラー

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ザ・グラップラー(The Grappler、本名:Edward Lynn Denton、1958年8月25日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ハンブル出身[3]。

リングネーム ザ・グラップラー
グラップラー1号
ダーティ・ホワイト・ボーイ2号
レン・デントン
本名 エドワード・リン・デントン
身長 178cm[1] - 183cm[2]
体重 113kg[2] - 118kg[1]
概要 ザ・グラップラー, プロフィール ...
ザ・グラップラー
ザ・グラップラーの画像
1981年
プロフィール
リングネーム ザ・グラップラー
グラップラー1号
ダーティ・ホワイト・ボーイ2号
レン・デントン
本名 エドワード・リン・デントン
身長 178cm[1] - 183cm[2]
体重 113kg[2] - 118kg[1]
誕生日 (1958-08-25) 1958年8月25日(68歳)[3]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
ハリス郡ハンブル[3]
スポーツ歴 アメリカンフットボール[2]
デビュー 1977年[1][4]
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ヒールの覆面レスラーとして、アメリカ南部や太平洋岸北西部を主戦場に活動した[4]。

来歴

1977年にオクラホマ地区でデビューした後、1970年代後半は素顔のレン・デントン(Len Denton)名義でフロリダのCWF、ジョージアのGCW、ノースカロライナのMACWなどNWAの各テリトリーを転戦[5][6]。TVテーピングのジョバーやハウス・ショーの前座要員としてキャリアを重ねた。

1980年6月より、ビル・ワットが主宰していた中南部のMSWAにおいて、覆面レスラーのザ・グラップラー(The Grappler)に変身[7]。9月18日にテッド・デビアスを破り、フラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得、翌年5月31日にジェイク・ロバーツに敗れるまで長期政権を築く[8]。その間の1981年1月31日にはキラー・カール・コックスからミシシッピ・ヘビー級王座も奪取[9]。4月18日にはニューオーリンズのスーパードームで行われたタッグチーム・トーナメントにスーパー・デストロイヤーとの覆面コンビで出場。アンドレ・ザ・ジャイアント&ダスティ・ローデスなどのチームを相手に勝ち抜き、決勝でディック・マードック&ジャンクヤード・ドッグを下してミッドサウス・タッグ王座も獲得した[10][11]。

1982年7月、新日本プロレスに初来日。アントニオ猪木の欠場していたシリーズだったが、同時参加していたマードックやアドリアン・アドニス、グレッグ・バレンタインらのパートナーとなって時折メインイベントにも出場し、ダイナマイト・キッドと組んでのタッグマッチではタイガーマスクとも対戦した[12]。

1982年11月、サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングにおいてトニー・アンソニーをパートナーに、自身がグラップラー1号(Grappler #1)、アンソニーがグラップラー2号(Grappler #2)となって覆面タッグチームのザ・グラップラーズ(The Grapplers)を結成。1983年1月15日にはリッキー・モートン&ケン・ルーカスを破ってSCWサウスウエスト・タッグ王座を獲得、ダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&タリー・ブランチャード)やニュー・シープハーダーズ(ルーク・ウィリアムス&ジョナサン・ボイド)ともタイトルを争った[13]。

メンフィスのCWAにも参戦して、1983年8月1日にファビュラス・ワンズ(スティーブ・カーン&スタン・レーン)からAWA南部タッグ王座を奪取[14]。カンザスシティのCSWでは1984年4月12日にオーツ・ブラザーズ(ジェリー・オーツ&テッド・オーツ)、7月26日にアップタウン・ボーイズ(マーティ・ジャネッティ&トミー・ロジャース)を破り、NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を2回獲得した[15]。同時期、アンソニーとは素顔のダーティ・ホワイト・ボーイズ(The Dirty White Boys)としても活動している[4]。

アンソニーとのコンビ解消後はシングルの覆面レスラーに戻り、1985年10月よりダラスのWCCWに参戦して、12月9日にブライアン・アディアスからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取[16]。翌年2月にWCCWはNWAを脱退したため、NWAの認定タイトルとしての同王座の最後のチャンピオンとなった[16]。WCCWではフォン・エリック・ファミリーをはじめ、ブルーザー・ブロディやディンゴ・ウォリアーとも対戦している[17][18]。

1987年9月より、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)に定着。10月31日にオレゴン州ポートランドでマイク・ミラーを破り、フラッグシップ・タイトルのNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得したが、1988年10月15日、アメリカ遠征に出ていた藤波辰巳にタイトルを奪われる[19]。同年12月、新日本プロレスへ6年ぶりに再来日。12月5日の愛知県体育館でのリターンマッチでは敗退するも[20]、帰国後の12月10日にポートランドにて藤波に雪辱を果たし、タイトル奪回に成功した[2][19]。以降、1990年にかけて同王座を通算7回獲得[19]。NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座にはパートナーを代えて通算11回戴冠した[21]。

1992年5月にはW★INGプロモーションに来日。5月5日の泉佐野大会での中牧昭二との試合は、パシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座のタイトルマッチとして行われた[22]。5月7日には後楽園ホールにて、ワフー・マクダニエルとインディアン・ストラップ・マッチで対戦した[22]。

1992年にPNWが活動を停止してからはセミリタイア状態となり、ポートランドやダラスのインディー団体に時折参戦[23]。1998年には素顔のレン・デントンとしてWCWのTVテーピングに登場、5月11日のマンデー・ナイトロではUSヘビー級王者ビル・ゴールドバーグのジョバーを務めた[24]。2000年代からもポートランドのインディー団体へのゲスト出場を続け、2005年8月13日にはジミー・スヌーカと対戦した[4]。

得意技

獲得タイトル

ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / トニー・アンソニー)[14]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:2回(w / トニー・アンソニー)[15]
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回 [16]
パシフィック・ノースウエスト・レスリング

脚注

外部リンク

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