シウダー・フアレス放射能汚染事故
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発生経緯

1977年11月、シウダー・フアレスの私立病院Centro Médico de Especialidadesは、不法にメキシコに持ち込まれた1個2.6 GBqのコバルト60のペレット約6,000個が入ったPicker C-3000放射線治療装置を購入した[3][4]。この装置は、病院がそれを操作する有資格者を欠いていたため、ほぼ6年間使われず放置されていた[5]。
当時、医療センターの職員だったビセンテ・ソテロ・アラルディンは、1983年12月6日、病院の保守管理者に依頼され、スクラップとして売却するためフェニックスにある廃品置き場で装置を解体した。ソテロは装置のヘッド部を分解し、コバルト60線源の入った円筒形容器を取り出した。彼はトラックの荷台の上で円筒形容器にドリルで穴を開けた。そのため、コバルト60の粒がトラックの荷台にこぼれた。コバルト60で汚染されたトラックは、その後、ソテロが廃品置き場から戻ると機械的故障に見舞われ、シウダーフアレスの自宅付近に40日間置かれていた[5]。
一方、廃品置き場では、電磁石を使ってスクラップを運搬しているうちに、コバルト60の粒が置き場中に広がった。その微細な粒は、廃品置き場内の他の電磁クレーンの磁場に引き寄せられ、やがて他の金属に混じってしまった。この放射性物質が混じったスクラップは2つの鋳物工場に送られた。チワワ市の建設用鉄筋工場Aceros de Chihuahua(Achisa)と、テーブル脚の製造会社Falcón de Juárezである[6]。これらは1984年1月までにすでに米国とメキシコ内陸部に輸出されたと推定される[5]。
放射性物質の検出
1984年1月16日、米ニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所の放射線検出器が付近の放射能を検知した。検出器が作動したのは、Achisa社製の鉄筋を積んだトラックが誤って回り道をし、研究所のロスアラモスメソン物理施設技術区域の出入り口ゲートを通過したためであった[7]。地元当局は、鉄筋が警報の引き金となったことに気づき、18日にメキシコ国家原子力安全保障委員会(CNSNS)に通報した。CNSNSは放射性物質が広範囲に拡散したことを確認し、汚染されていないことが確認されるまで製造された鉄筋の流通を停止するようAchisaに命じた。メキシコ当局も廃品置き場の閉鎖を進めた[5]。
1984年1月26日、CNSNSの職員は、毎時1000レントゲンもの放射線を出す放置されたトラックを発見した。車両は人口密集地にあったため、クレーンでエル・チャミサル公園まで牽引された。車両を発見したCNSNSは、ビセンテ・ソテロを探し当てた。彼は所有権を認め、専門医療センターに勤務していることを明らかにした[5]。さらなる調査の結果、CNSNSは、フェニックス廃品置き場、Achisa、Falcónのほかに、3つの会社が汚染物質を受け取っていたと結論づけた。ゴメスパラシオのFundival、モンテレイのAlumetales、サン・ルイス・ポトシのDuraceroである。汚染物質は30,000台のテーブル脚と6,600トンの鉄筋に混入したと推定された[4][5]。