シャー・ムラード
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生涯
生まれ
ダニヤル・ビーの子として生まれる。名はマスーム[1]。
即位
ガージャール朝との戦争
ガージャール朝のホラーサーンに侵入して古都メルヴを包囲した[1]。当時のメルヴは付近を流れるムルガーブ川の水を利用して、西トルキスタンで最も富裕なオアシスの一つであった[1]。シャー・ムラードはこの水利設備を破壊して、市民の食糧源を断ち、メルヴを降伏させた[1]。そして莫大な戦利品を獲得し、そのうえ市民の大部分をブハラに強制移住させた[1]。シャー・ムラードはガージャール朝領に侵入してホラーサーンを掠奪し、多数のペルシア人男女を奴隷としてブハラに送った[1]。そのため、奴隷の価格が暴落したとも言われている[1]。シャー・ムラードが東部ペルシアにもたらした荒廃は13世紀のモンゴル帝国の侵入に匹敵すると伝えられている[1]。
死去
シャー・ムラードは1799年に死去した[1]。彼はその容赦ない征服活動の印象とは反対に、部衆の間では敬虔で有徳なイスラム君主とされていた[1]。彼の支配下のブハラはイスラムの楽園と呼ばれ、イスラム教の隆盛と経済的繁栄には著しいものがあった[1]。シャー・ムラードの治下ではイスラームの法規・規定の違反は厳罰に処され、酒とタバコも厳禁で、窃盗と売春は死刑とされた[1]。 シャー・ムラードは生前その子サイイド・ハイダル・トラを後継者に指名したため、サイイド・ハイダル・トラが第2代アミールに即位した[1]。