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シャー・ムラード

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シャー・ムラードペルシア語: شاه مراد、Shāh Murād、チャガタイ語:شاه مراد、Šaḥ Murād、生没年:? - 1799年)は、ブハラ・アミール国マンギト朝の初代アミール(在位:1785年 - 1799年)。本名はマスーム[1]

概要 シャー・ムラード شاه مراد, 在位 ...
シャー・ムラード
شاه مراد
初代アミール
在位 1785年 - 1799年

死去 1799年
子女 サイイド・ハイダル・トラ
王朝 マンギト朝
父親 ダニヤル・ビー
宗教 イスラム教スンナ派
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生涯

生まれ

ダニヤル・ビーの子として生まれる。名はマスーム[1]

即位

1784年頃、マスームはシャー・ムラードと名乗ってアミール位に即位した[1]

ガージャール朝との戦争

ガージャール朝ホラーサーンに侵入して古都メルヴを包囲した[1]。当時のメルヴは付近を流れるムルガーブ川の水を利用して、西トルキスタンで最も富裕なオアシスの一つであった[1]。シャー・ムラードはこの水利設備を破壊して、市民の食糧源を断ち、メルヴを降伏させた[1]。そして莫大な戦利品を獲得し、そのうえ市民の大部分をブハラに強制移住させた[1]。シャー・ムラードはガージャール朝領に侵入してホラーサーンを掠奪し、多数のペルシア人男女を奴隷としてブハラに送った[1]。そのため、奴隷の価格が暴落したとも言われている[1]。シャー・ムラードが東部ペルシアにもたらした荒廃は13世紀モンゴル帝国の侵入に匹敵すると伝えられている[1]

死去

シャー・ムラードは1799年に死去した[1]。彼はその容赦ない征服活動の印象とは反対に、部衆の間では敬虔で有徳なイスラム君主とされていた[1]。彼の支配下のブハラはイスラムの楽園と呼ばれ、イスラム教の隆盛と経済的繁栄には著しいものがあった[1]。シャー・ムラードの治下ではイスラームの法規・規定の違反は厳罰に処され、酒とタバコも厳禁で、窃盗と売春は死刑とされた[1]。 シャー・ムラードは生前その子サイイド・ハイダル・トラを後継者に指名したため、サイイド・ハイダル・トラが第2代アミールに即位した[1]

脚注

参考資料

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