シュシャ県

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シュシャ県(シュシャけん、アゼルバイジャン語: Şuşa rayonu)は、アゼルバイジャンの南西に位置するシュシャロシア語版をその中心とし、下位には31の村落がある[3]1992年から2020年までアルツァフ共和国実効支配地域となっていた。

設立 1930年8月8日
中心都市 シュシャロシア語版
概要 シュシャ県 Şuşa rayonu, 国 ...
シュシャ県

Şuşa rayonu
シュシャ城塞(アゼルバイジャン語版)
シュシャ城塞アゼルバイジャン語版
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
経済地区ロシア語版 高地カラバフ経済地区ロシア語版[1]
設立 1930年8月8日
中心都市 シュシャロシア語版
政府
  首長 バイラム・サラフォフ
(2009年2月27日 - )[2]
面積
  合計 290 km2
人口
2012年1月1日現在)[3]
  合計 30,300人
  密度 100人/km2
等時帯 UTC+4 (AZT)
市外局番 994 26
ナンバープレート 58
ISO 3166-2 AZ-SUS
ウェブサイト www.shusha-ih.gov.az/
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歴史

1813年ゴレスターン条約によってロシア帝国の領土とされるまでは、ガージャール朝ペルシアの下でカラバフ・ハン国トルコ語版の中心地域であった[3]。その後にはカスピ州の下でシュシャ郡が形成され[4]1868年からはエリザヴェトポリ県ロシア語版の一部となった。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国成立後には、1930年8月8日にナゴルノ・カラバフ自治州の一部としてシュシャ地区ロシア語: Шушинский район)が設置された[5](これが現在のシュシャ県の原型となっている[3])。シュシャ地区は1963年1月4日にステパナケルト地区に編入されたが、1965年6月に再建された[5]

ソビエト連邦の崩壊後はナゴルノ・カラバフ戦争の舞台となり、1992年5月8日にアルメニア人側の勢力下に入った[3]。この際、アゼルバイジャン人による歴史的建造物の多くが破壊されたという[3]。戦争を機に事実上独立したアルツァフ共和国における行政区画シュシー地区は、シュシャ県とその西部のラチン県の一部に重なっている。

2020年11月8日、アゼルバイジャン軍は2020年ナゴルノ・カラバフ紛争にてシュシャを奪還したと発表した[6]。11月10日より発効した停戦協定により、11月30日[7]正式にアゼルバイジャンへ返還された[8]

人口推移

ソビエト連邦時代、シュシャ地区の民族別人口は以下のように推移している[9]

5,000
10,000
15,000
20,000
1939年
1959年
1970年
1979年
  •   総人口
  •   アルメニア人
  •   アゼルバイジャン人
  •   ロシア人

脚注

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