シュブハイ
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シュブハイšubuqai (スバハイsubakhaiとも) は、明朝後期の蒙古 (北虜) で、現赤峰市一帯を根拠地としたハルハ・バアリン部始祖。ダヤン・ハアンの曾孫にあたり、兄はジャルウト部始祖のウバシ。ボルジギン氏。
漢文では蘇巴海の外、速把亥、蘇不害、速不亥、速卜亥、蘇把亥、速不害、索博該衛征、達爾漢諾顔などとも。
嘉靖末年に父に従って泰寧衛・福餘衛の故地に移り、明人から泰寧衛の酋長とみなされた。当時その強大な勢力を以てトゥメン・ジャサクトゥ・ハアン (蒙古帝国第38代) より蒙古五執政理事の一として任命され、ハルハ部の代表とみなされた。弟・炒花らとともにチャハル部と結び、明の開原・義州 (現義県)・錦州 (現凌海市) などを襲撃して度々明軍を破った。後に李成梁率いる明軍に敗れ、萬曆10年1582に参将・李平胡の放った矢が中って陣没した。妹夫・花大が遺体を回収し、塔毋戸渡に埋葬したという。