アルチュ・ボラト
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ダヤン・ハーンとその正妻マンドフイ・ハトンの間の息子として生まれた。ダヤン・ハーンの六男と見られ、『蒙古源流』ではオチル・ボラトと双子で生まれたとも記される[3]。『蒙古源流』によるとオチル・ボラトとアルチュ・ボラトが生まれそうな頃、オイラトの襲撃があったが、フンギラトのエセレイ大夫、ハチンのジフイ・ダルハン、バルガチンのバヤン・ボケ、アストのバト・ボラトの助けによって無事逃れ、双子を産むことができたという[4]。
16世紀に編纂された漢文史料の『九辺考』には「罕哈部(ハルハ部)」についての記述があり、この頃「罕哈部」は「三営」からなっており、「猛可不郎(Möngke bolad?)」なる人物が領していたという[5]。この「三営」は早い段階から名称が言及されるジャルート・バアリン・コンギラトの三部を指し、「猛可不郎」はアルチュ・ボラトの別名ではないかと考えられている。