シュリアノス
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アレクサンドリア出身[2]。同地で修辞学と哲学を学んだ後、何らかの経緯でアテナイに移住した[2]。時代背景として、415年にヒュパティアの殺害、425年にテオドシウス2世と皇后エウドキアのキリスト教徒夫妻によるコンスタンティノープル大学の設立があったが、シュリアノスは異教の学問を続けていた[2]。
430年プロクロスがアテナイに移住してきた際に迎え入れ、師のプルタルコスに引き合わせた[1]。432年ごろプルタルコスが没すると学頭を継承し、437年自身が没するまで務めた[1]。学頭在任中、プロクロスに「小秘儀」としてアリストテレスの全著作を、「大秘儀」としてプラトンの全著作を教授した[1]。プロクロスが没した際はシュリアノスと同じリュカベットス山麓の墓所に埋葬された[3]。