シュートレスリング
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シュートレスリング
- 格闘技であるレスリングの一種「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の別称。
- プロレスのスタイルの1つ「シュートスタイル」の別称。本項で解説。
シュートレスリング(英:Shoot wrestling)は日本のグラップリング (Hybrid martial arts) と格闘技を組み合わせたプロレスリングスタイル。このプロレスリングは、プロレスに競技レスリングの他、サブミッション/グラップリング・レスリング (Submission wrestling) 、キックボクシング、空手などの様々なスタイルの技術を取り入れている。
特に、19世紀から20世紀初頭にかけてプロレス界で主流だったキャッチレスリングから着想と影響を受けている。当時、キャッチレスリングは正式な競技スポーツとして認められてはいたが、競技性等はまだ確立されていなかった[1]。
1970年代の日本のプロレス界で生まれたもので、特にカール・ゴッチ、ルー・テーズ、ビル・ロビンソンといったプロレスラーの影響が顕著である。彼らはいずれも、その本格的なサブミッションレスリングスタイルで日本国内で長年にわたり人気を博した。当時のプロレスラーたちは、試合の興奮を高めるため、よりリアルな「フルコンタクト」の動きを取り入れようとし、芝居がかった要素やアクロバットの要素も控えもしくは減らし、より実際の、アングルのない試合に近いものにしようとした。「シュートレスリング」という名称は、プロレス用語の「シュート」に由来しており、俗にいう台本のある試合に対して、台本のないガチンコを指す[2]。
シュートレスラーの第一波は、新日本プロレス(NJPW)のアントニオ猪木とカール・ゴッチの弟子たちである。この二人は既に、より硬く、よりリアルなレスリングスタイルを提唱してきた。さらに彼らの弟子たちがNJPWを離れ、 1984年にユニバーサル・レスリング・フェデレーション(UWF)を結成し、この新しいスタイルの先駆者となっていく[3]。
このスタイルは1980年代から1990年代半ばまで日本で人気を博したが、1996年にシュートレスリングのリーディング団体であるUWFが解散し、同時に日本における総合格闘技(MMA)の隆盛により人気は衰退。多くのシュートレスラーはMMAへ転向するか、より劇的なプロレスへと回帰していき[3][4]そして、総合格闘技方面にも大きな影響を与えていった。
なお、現在のスポーツであるシュートレスリングが登場する以前、この用語はプロレス界、特にイギリスにおいて、キャッチレスリングの同義語として一般的に使用されていた[5]。シュートレスリングは、#シュートファイティング、#シュートボクシング、そして#修斗/シューティング、パンクラス、リングスといった団体で行われる総合格闘技など、様々なハイブリッド格闘システムを指す言葉として用いられていく。そして、シュートレスリングを起源とする団体、機構、ジムはU系と呼ばれていく。
歴史的に、シュートレスリングは多くの格闘技からの影響を受けており、その中で最も影響力が大きかったのは前述のキャッチレスリングであるが、フリースタイルレスリング、グレコローマンレスリング、そしてスポーツの後期にはサンボ、空手、ムエタイ、柔道/柔術からも影響を受けていた。
前述のカール・ゴッチは、シュート・レスリングの発展において最も重要な人物の一人である。ゴッチはドイツと北米のプロレス界でレスリングの道を開始し、そこでそこそこの成功を収めたが、シュート・レスリング初期の形成は、日本への巡業中に起こった。
ゴッチは、有名なキャッチ・レスラーのビリー・ライレーがウィガンで運営する通称「スネーク・ピット」ビリー・ライレージムの生徒であった。このジムは、鉱山の町ウィガンで行われていた、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスリングとして一般に知られているサブミッション・レスリングを学ぶ中心地として知られた。ここでゴッチは、キャッチ・レスリングのスキルを磨き、また、ペルワニというレスリングの形式を練習するためにインドへも遠征した。後に彼はインド武術/ヒンズーのメイスを使ったトレーニングを広め、腕立て伏せ、首のトレーニング、ヨガの呼吸法、ヒンズースクワットを使ったインド式のトレーニング・システムを取り入れてコンディションをつくっていたのである。ゴッチは日本で伝説的な地位を獲得し、同国で「レスリングの神様」というあだ名で呼ばれることとなった。1970年代には、アントニオ猪木の他藤波辰爾、藤原喜明、佐山サトル、空中正三(ミスター空中)、前田日明といったプロレスラーに、キャッチ・レスリングをベースとしたフッキングやシューティングを教えた。これらのプロレスラーのほとんどは、すでに正当な格闘技の経験を持っており、例えば空中はフルコンタクト空手、講道館柔道、相撲を学んでいた。藤原はすでに柔道の黒帯であり、佐山は高校でレスリングの後、藤原敏男らとムエタイ/キックボクシング(目白ジム)を学び、その後ビクトル古賀にサンボを学んでいる。これにより、最終的には空手、ムエタイ、柔道の影響がこのレスリングのスタイルに加わることになっていった。
ゴッチの弟子の一人、アントニオ猪木は、総合格闘技スタイルのレスリング試合を主催し、自らの「ストロングスタイル・プロレス」を他の格闘技と競わせ、プロレスとシュートレスリングが最強の格闘技であることを証明しようとした。猪木は後に、自身が率いるプロレス団体「新日本プロレス」の道場で、新世代のレスラーたちにこれらの格闘技を教えた。これらのスタイルは最終的にモハメド・アリ対アントニオ猪木戦へと発展した。これまでの試合は進行が事前に決められていたが、アリと猪木は試合条件で合意できず、真剣勝負の「シュート」方式となった[6]。
その後、多くのレスラーがこのよりリアルなプロレススタイルの普及に興味を持つようになり、特に1984年に創設されたユニバーサル・レスリング・フェデレーション(UWF)が、シュートレスリングとストロングレスリングを推進するプロレス団体と化した。UWFは、事前に決められたスタイルでありながら、効果的で実践的な格闘術を特徴としており、このスタイルを適用していた。UWFは本格的な総合格闘技的な試合も開催し、UWFのレスラーたちも猪木自身のスタイルを模倣、他のスタイルのレスラーともシュートレスリングのテクニックを競い合うことが可能となった。しかし、レスラー間の内部対立により、結果として団体は解散に至る[3]。
UWFの解散後、シュートレスリングは複数の団体に分岐し引き継がれた。1985年にUWFを最初に脱退したトップスターの一人「初代タイガーマスク」こと佐山サトルはUWFの組織内政治に不満を抱き、独自の格闘技を創設するという夢を追い求めた。彼はシュート・レスリングと他の格闘技の知識を組み合わせて、後に「修斗」と名付けた正当な格闘スタイルを作り上げ、1986年に最初のアマチュア大会、1989年に最初のプロの大会を開催した[7]。高田延彦とその賛同者はUWFインターナショナルを、前田日明はファイティングネットワーク「リングス」を、藤原喜明はプロレスリング藤原組(「藤原ファミリー」)を設立[3]。さらに藤原組からは、船木誠勝や鈴木みのるなど数人のレスラーが、藤原のルチャリブレ風のスタイルへの転向と格闘技術への視点の欠如に不満を持ち、シュート・レスリングのルールを採用しながらも脚本のない本物の試合を推進する団体、パンクラスを1993年に設立していった[8]。
UWFからインスピレーションを受けた複数の後継者や団体は、プロレスから総合格闘技、さらには独立した格闘技のスタイルまで多岐にわたり、総称して「U系」(英:"U-Group" or "U-Class")と呼ばれている。
シュートレスリング自体は1990年代半ばまで人気を博していたが、1996年にUWFインターナショナルが解散し、同時に日本における総合格闘技の隆盛が進んだことで人気は急落。シュートレスラーの多くはMMA (後にリングス自体が完全なMMA団体となった)に転向するか、より劇場的なプロレスへと回帰した[3][4]。
その後、いくつかの団体がシュートレスリングイベントをプロモートしている。GLEATは、プロレスリング・ノアの元関係者で構成されるLIDET Entertainmentによって2020年に設立された日本のプロレス団体であり、「Lidet UWF」はUWFスタイルの試合を行うサブブランドとして知られる[9]。 アメリカ・ニュージャージー州を拠点とするプロレス団体en:Game Changer Wrestlingは、en:GCW Bloodsportとして知られるシュートレスリングイベントをプロモートしている[10]。これらのイベントには、鈴木みのる、ジョシュ・バーネット、マット・リドル、ダン・スバーンといった元MMAやシュートレスリングにインスパイアされたプロレスラーが出場している[11]。
主要なプロモーション団体
シュートレスリングは、ユニバーサル・レスリング・フェデレーション(UWF)の解散後、いくつかのサブジャンルに分岐。主な形態と復活した団体は以下の通り。
- 藤原喜明の弟子である船木誠勝と鈴木みのるは前述のとおり、1993年にパンクラスを設立した。パンクラスはUFCより前の総合格闘技団体で、もともとは実際の脚本のない試合でシュートレスリングのルールを使用していた。
- 前田日明は1991年に、シュートスタイルのレスリングから総合格闘技へと移行した団体、ファイティングネットワーク・リングスを設立。
- ライオンズデン (Lion's Den (mixed martial arts)) 、高田道場、シャムロック・マーシャルアーツ・アカデミーといった世界的に有名なジムは、シュートレスリングをベースにしたスタイルを広めている。
- オランダのキックボクサーであり、総合格闘技の伝説的選手であるバス・ルッテンが、シュートレスラーの船木誠勝に指導を受け、その後自身のジムを設立。
- 韓国テコンドージュニア全国チャンピオンのMasa Kin Jimは、シュートレスリングの訓練を受けている。韓国武術のプロモーションのために日本を短期間訪れた際、シュートレスリングに魅了され、そして1998年、韓国で最初のシュートレスリングアカデミーの一つを開設。
- 2004年、シュートレスリングはカナダ西部で公式スポーツとして認められ、ライセンスの取得が可能になる。この新しいスポーツの認知度向上のため、最初の試合は一般公開で開催され、その後も多くの試合が行われている。
派生スタイル
- 修斗/シューティング
アントニオ猪木に師事したプロレスラー、佐山サトルは、 1985年に、実戦的で効果的な格闘システムを基盤としたスポーツの創造を目指して修斗を創設。修斗は、打撃、立ち技、寝技など、格闘技のあらゆる側面に焦点を当てている。修斗の選手はシューターまたはシューティストと呼ばれている。
- シュートファイティング (Shootfighting)
総合格闘技(MMA)の初期の呼称としても使われる。プロレス用語の「シュート」に由来し、試合が演出されていないことを表す。MMAと同様に打撃とグラップリングを含むが、ロープブレイクなどルールがMMAと若干異なる。
シュートボクシングは、キックボクサーであったシーザー武志が、1985年に立った状態での関節技や投げ技が認められる立ち技格闘技のファイティングリーグとして創設。