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ショーン・ケイシー

アメリカの野球選手 (1974 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ショーン・トーマス・ケイシー(Sean Thomas Casey, 1974年7月2日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ウィリンボロ・タウンシップ出身の元プロ野球選手(一塁手)、野球解説者、野球指導者。右投左打。

出身地 ニュージャージー州ウィリンボロ・タウンシップ
生年月日 (1974-07-02) 1974年7月2日(52歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
230 lb =約104.3 kg
概要 ニューヨーク・ヤンキース コーチ, 基本情報 ...
ショーン・ケイシー
Sean Casey
ニューヨーク・ヤンキース コーチ
ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2008年4月24日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州ウィリンボロ・タウンシップ
生年月日 (1974-07-02) 1974年7月2日(52歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1995年 MLBドラフト2巡目
初出場 1997年9月12日
最終出場 2008年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

プロ入り前

少年時代にあこがれていた選手はケイシーと同じ守備位置であるウィル・クラーク一塁手だった[1]。リッチモンド大学へ進学し、1995年にコロニアル・アスレチック・カンファレンスの最優秀選手に選出された[2]。

プロ入り後

1995年6月に行われたドラフトでは2巡目でクリーブランド・インディアンスから指名され入団。1997年9月12日にメジャーデビュー。

1998年3月30日にデーブ・バーバとのトレードで、シンシナティ・レッズへ移籍[3]。4月2日に打撃練習中に送球が顔に当たり、右目周囲を骨折し20針を縫い、故障者リスト入りとなった[4]。その後復帰を果たし、96試合に出場。

1999年は4月から6月の月間打率が3割7分を上回り、ラリー・ウォーカーらと首位打者と争った。1941年のテッド・ウィリアムズ以来の4割打者に挑戦する1人として挙げられた[1]。オールスターゲームに選出された。7月から9月の月間打率は3割を下回った。151試合に出場し、打率.332(リーグ4位)、25本塁打、99打点を記録した。オフにハッチ賞を受賞した。

2002年、2003年は打率3割を下回ったが、2004年は前半戦で打率.352の活躍で3年ぶりにオールスターに選出された。最終的に打率は.324で、自己最多の44二塁打を記録した。シーズン終了後の10月29日に球団は3年契約がまだ1年残っていたにもかかわらず、2006年の850万ドルのオプション行使した[5]。

2005年は、前年の24本塁打から9本塁打と2年連続2桁本塁打をストップさせてしまうなど、長打は軒並み減ったが、ナ・リーグ5位となる打率.312を記録。守備に就いた134試合(先発出場は132試合)で、失策を昨シーズンの1/4となる2つに抑えた。9月16日の一塁守備の際、打者走者の肘が顔に当たって失神[6]。シーズンを終えることとなった。12月8日に、金銭およびデーブ・ウィリアムズとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[3]。

概要 映像外部リンク ...
映像外部リンク
2006年8月24日のショーン・ケイシーの左ゴロ
Casey thrown out at first on a liner to left
メジャーリーグベースボール公式YouTube
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2006年シーズン途中の7月31日にタイガースへブライアン・ロジャースとのトレードで移籍[3]。初のア・リーグ在籍となるタイガース移籍後は低調で、デビュー戦の5月31日以来の本塁打を含む5本塁打を放ったものの、打率.245と不振に陥った。その一方で、守備面では51試合(先発出場は47試合)で2失策と持ち前の安定感を見せた。また、8月24日のシカゴ・ホワイトソックス戦では、左前安打を放ったものの、本人が三直と思い込み、一旦走るのを止めたため、左ゴロを記録した[7]。

2007年は、開幕から正一塁手として打率.296を記録し、一塁守備に就いた131試合(先発出場は105試合)で2失策と堅実さを見せた。また、3年ぶりの盗塁も成功させた。オフにFAとなり、2008年2月5日にボストン・レッドソックスと1年契約。一塁手の控えやデービッド・オルティーズ不在時の指名打者として69試合に出場し、打率.322を記録した。

2009年1月25日に現役引退を表明した。

引退後

MLBネットワークに勤めることが決定していた[8]。以降、15年間に及んで野球解説を務めた[9]。

2023年7月10日にニューヨーク・ヤンキースの打撃コーチに就任した[10]。シーズン終了までの契約となる[9]。これまでの指導者としての経験は一切無い[9]。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1997 CLE 612101200021000010120.200.333.200.533
1998 CIN 963513024482211712652110343334511.272.365.417.782
1999 15166959410319742325320990205611398815.332.399.539.938
2000 133545480691513322024885100652478016.315.385.517.902
2001 145588533691654001324489310343896316.310.369.458.827
2002 12047642556111250615442210343654711.261.334.362.696
2003 147629573711671931423480400351425819.291.350.408.758
2004 14663357110118544224305992006465103616.324.381.534.915
2005 13758752975165320922458200548354827.312.371.423.794
2006 PIT 5924421330631503872900022356227.296.377.408.785
DET 531961841745705673001011041213.245.286.364.650
'06計 11244039747108220815459010333974310.272.336.388.724
2007 14349645340134301417854220239112429.296.353.393.746
2008 BOS 6921819914641400781710001732256.322.381.392.773
MLB:12年 14055644506669015313221213022677351880394776962577156.302.367.447.814
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年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年
度
球
団
一塁(1B)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1997 CLE 120001.000
1998 CIN 8664336465.994
1999 1481189556109.995
2000 1291064606106.995
2001 136114662789.994
2002 10892770793.993
2003 1441257756112.996
2004 145123356886.994
2005 134115355291.998
2006 PIT 55471200441.000
DET 5146714240.996
'06計 10693834284.998
2007 13199242287.998
2008 BOS 4533113325.991
MLB 13131087555853947.995
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表彰

記録

背番号

  • 52(1997年)
  • 21(1998年 - 2005年、2006年途中 - 2007年)
  • 25(2006年 - 同年途中)
  • 22(2008年)
  • 72(2023年7月10日 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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