ジェイソン・フレイザー
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ホワイトソックス時代(2011年8月9日) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | イリノイ州シカゴ |
| 生年月日 | 1977年8月9日(47歳) |
| 身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 180 lb =約81.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト33巡目(全体987位)でデトロイト・タイガースから指名 |
| 初出場 | 2004年4月16日 ボルチモア・オリオールズ戦 |
| 年俸 | $1,750,000(2014年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェイソン・アンドリュー・フレイザー(Jason Andrew Frasor, 1977年8月9日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
トロント・ブルージェイズでの通算505試合登板は球団記録。妻はカナダ人[2]。
プロ入りとタイガース傘下時代
1999年のMLBドラフトでデトロイト・タイガースから33巡目(全体987位)指名され、6月4日に入団。
ドジャース傘下時代
2002年9月18日にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍したが、一度もメジャーへ昇格することはなかった。
ブルージェイズ時代
2004年3月29日にジェイソン・ワースとのトレードで、トロント・ブルージェイズに移籍して同年4月16日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。1年目ながらクローザーに抜擢され、チームトップの63試合に登板。尻すぼみに終わってしまった感もあったが、一躍脚光を浴びた。
2005年もチーム3位の67試合に登板し、防御率3.25の好成績をマーク。
2006年は7月途中に不調で傘下のAAA級シラキュース・チーフスへの降格もあったが、シーズンでは51試合に登板し、防御率4.32と、何とか許容範囲に収めた。
2007年は守護神のB・J・ライアンの故障に伴いクローザーに抜擢されたが、不振のためその座をジェレミー・アッカードに譲ってしまった。
2008年は防御率こそ前年度よりも改善されたものの、WHIPが高く不安定な内容が続いた。
2009年はライアンの故障による不調に加え、ライアンに代わってクローザーを務めたスコット・ダウンズも故障したため、抑えを任されるようになった。シーズンを通じて安定した成績を残し、キャリアハイの防御率をマークした。
2010年も当初は抑えを任されていたが、開幕戦でサヨナラ打を打たれるなど不安定な内容が続いたためケビン・グレッグに守護神の座を奪われてしまう。しかし5月以降の防御率は2点台に抑え、キャリアハイの登板数をマークするなど及第点の成績でシーズンを終えた。シーズン終了後の11月1日にFAとなったが、獲得の際に2つのドラフト指名権譲渡が必要なタイプA(救援投手)に格付けされたため、他球団への移籍は困難と見られていた。結局、球団からの年俸調停申請を受諾して残留が決まった[3]。オフにはバーノン・ウェルズが移籍したことにより、チーム最古参の選手になった。
ホワイトソックス時代
2011年7月27日にブルージェイズ、セントルイス・カージナルス、シカゴ・ホワイトソックス間での三角トレードでザック・スチュワートと共にホワイトソックスへ移籍。オフの10月31日に375万ドルの球団オプションを行使された。
ブルージェイズ復帰
2012年1月1日にマイナー2投手とのトレードでブルージェイズに復帰した[4]。10月29日にFAとなった。
レンジャーズ時代
2013年1月3日にテキサス・レンジャーズと150万ドルの1年契約を結んだ[5]。10月31日にFAとなったが、11月4日に175万ドルの1年契約で再契約した[6]。
2014年は開幕ロースター入りし、38試合に登板。1勝1敗・防御率3.34だった。
ロイヤルズ時代
2014年7月16日にスペンサー・パットンとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[7]。ロイヤルズ移籍後は、23試合にリリーフ登板。防御率1.53・3勝無敗という目を見張る好成績をマークし、ロイヤルズのプレイオフ進出に大いに貢献した。2014年シーズン通算では、61試合にリリーフ登板して通算600試合登板を達成した。防御率は、2年連続で2.70以下に抑えた。メジャーデビュー以来11年連続で45試合以上に登板、線引きを50試合にしても未到達なのは2008年だけと、タフネスぶりを発揮している。オフの10月30日にFAとなったが、11月28日にロイヤルズと125万ドル+出来高50万ドルの1年契約(2016年・200万ドル+出来高50万ドルの相互オプション付き)で再契約した[8][9]。
2015年はロイヤルズで26試合に登板し、1勝0敗・防御率1.54の成績であったが、7月6日にDFAとなり[10]、13日に自由契約となる[11]。
ブレーブス時代
2015年7月17日にアトランタ・ブレーブスとメジャー契約を結ぶ[12]。6試合の登板で無失点の好投を続けていたが、8月4日に肩の痛みを訴え故障者リスト入りし、26日に自由契約となる。