ジェオリー王子
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ジェオリー王子(Prince JeolyもしくはPrince Giolo、1662年頃 - 1693年[1])は、メアンギス島(現在のインドネシア)出身の奴隷男性[2]。イギリスの航海家ウィリアム・ダンピアによってヨーロッパへ連れて来られ、全身に施された精緻な刺青から「ペインテッド・プリンス(Painted Prince)」の名で、祖国では王子だったという触れ込みのもと見世物として展示された[2]。死後には剥がされた皮膚が保存され、イングランドにおける刺青皮膚保存の最古の記録例となった[2]。名前の綴りは複数あり、1692年に見世物にされた際の銅版画家ジョン・サヴェージ(John Savage)による宣伝広告イラストにはGioloと表記、ダンピアによる1697年の書籍『最新世界周航記(A New Voyage Round the World)』ではJeolyと表記。ベストセラーとなった『最新世界周航記』での詳細な記述が著名。
生涯
故郷メアンギス島での暮らし
ジェオリーはメアンギス島の出身。メアンギスはクローブやナツメグなどの香辛料や金が豊かな場所で[3][4]、ジャガイモやヤムイモを主食とし、養鶏と漁業をしていた[4]。島には男が30人ほど、女が100人ほどいて、ジェオリーには5人の妻と8人の子供がいた。彼に刺青を施したのは妻の1人である[4]。ダマーの木(dammer tree)から取れる樹脂を色素に加工し、肌を針で傷つけて刺青を入れるという手法が用いられた[4]。島民は皆が刺青を入れ、金のブレスレットやアンクレットを身に着けた[4]。
ジェオリーの刺青について、ダンピアはこのように記述している。
彼の胸全体、背中の肩の間、太ももの(主に)前面、そして腕や脚の周囲には、いくつかの太い輪やブレスレットのような模様が描かれていた。その模様を動物などの図柄に例えることはできないが、非常に興味深く、多種多様な線や装飾、格子模様などで満ちており、極めて優雅なバランスを保ち、驚くほど精巧に見えた。とりわけ、肩甲骨の上やその間の模様はそうであった。[4]
マギンダナオ王国での奴隷生活
ジェオリーは、父母と兄と更に数人の男たちと他の島へ向かっていたところ、強風により別の島まで流され、そこでマイケルというスペイン人の男に捕らえられ、奴隷としてマギンダナオ王国に売られた[4]。その際に、身に着けていた金製の飾りを剝ぎ取られた[4]。ジェオリーに労働をさせるために、マイケルは時に暴力を振るい、時に優しく説得をしたが、ジェオリーはよく働きはしなかった[4]。マギンダナオ王国の者はマレー語を話し、島独自の言語を用いるメアンギス島の者を一種の野蛮人と見做していた[4]。マギンダナオ王国の者はイスラム教徒で、豚を嫌悪しており、ジェオリーを「豚」と呼び蔑んだ[4]。
1686年、ダンピアはマギンダナオ王国滞在中にジェオリーと出会った。ジェオリーは食糧をあまり与えられておらず、ダンピアらの船に乗り込んできては施された食糧を喜んで受け取った[4]。ジェオリーのマギンダナオ王国での奴隷生活は4,5年続いた[4]。
後にダンピアが発表した『最新世界周航記』では、ジェオリーはPrince Jeoly、もしくは単にJeolyと記された。ジェオリーが王族であるといった記載はなく、執筆時期にはジェオリーが「ペインテッドプリンス」の名で知られていたのを受けている。
ダンピアの奴隷となってから
ジェオリーと母は、マギンダナオ王国を訪れたムーディ(Moody)という男に買われ連れていかれた[4]。
1690年4月頃、ジェオリーはインドのセント・ジョージ要塞にてダンピアと再会した[4]。ムーディに連れ歩かれるジェオリーの刺青を見た人々は大いに称賛したという[4]。ムーディは航海士として同行するようダンピアを勧誘し、旅路のついでにジェオリーを故郷メアンギス島に連れて行けば、その見返りにメアンギスの王族と香辛料の貿易を築けるだろうと話した[4]。
同年7月、ダンピアはムーディの誘いを引き受け航海に出たが、風向きがあまりに悪かったため、別方向へ進路変更を余儀なくされ、メアンギス島にはたどり着けなかった[4]。その後、ダンピアとムーディは別れることになり、ジェオリーと母の身柄はダンピアに託された。ムーディは母子をダンピアの所有物とし、自由に処分できるようにした[4]。
一行はベンクーレン(スマトラ島)に滞在し、砲手として働くようになったダンピアはジェオリー母子に頼む仕事が特にないので放っておき、ジェオリーは工作作業に没頭していたが、不器用な仕上がりだった[4]。しばらくして母子は病に倒れ、母親が亡くなり、ジェオリーはひどく落ち込み、彼の体調不良も中々治らなかった[4]。3か月間も病気で寝込むジェオリーをダンピアは看病した[4]。
ダンピアはベンクーレンでの労働待遇に不満を持ちイギリスへの帰国を考えるようになり、ジェオリーも連れ帰り見世物にして稼ごうと計画し、いずれは彼を香辛料貿易のためにメアンギス島に返そうと思った[4]。
1691年1月25日、ダンピアはベンクーレンでの辞職を許してもらえず、真夜中に脱走して小舟に乗った[4]。小舟の向かう先はイギリス東インド会社のヒース船長(Captain Heath)の船ディフェンス号(Defence)で、ジェオリーと共に出航した[5]。船内に保管された水の質は低く、インクのように見えるほど黒く、また塩漬けの食糧も粗末なもので、乗組員は痛みをほとんど感じることはないまま身動きが取れなくなり死んでいった[5]。
同年4月、南アフリカのケープタウンにディフェンス号は着き、ザクロや良質のワインなどを得た[5]。ジェオリーはそこに6週間ほど滞在し[5]、同年5月23日に再出航した[6]。
同年6月20日に一行はイギリス領の孤島セントヘレナに着き、ダンピアはジェオリーのための食料調達を行った[6]。島の人々はジェオリーに群がり、彼を大いに称賛し食料を与えた[6]。ダンピアは「ここが、私が彼を自由に扱えた最後の場所となった」と記している[6]。
同年9月16日、イギリス南東部ケント州沿岸ダウンズに停泊し、ダンピアは帰国を果たした[6]。その後、ロンドンテムズ川に入港すると、ジェオリーは著名な人々に披露されるために陸へ送り出された[6]。金に困っていたダンピアは説得され、まずジェオリーに対する権利の一部を売却し、やがてはすべてを売り払った[6]。
展示品となってから
ジェオリーは見世物として各地を転々とした[6]。当時のヨーロッパでは、民族的な刺青の施された先住民を捕獲した展示が流行していた[2]。数百年に渡る「刺青を持つ珍奇な存在」の展示の中で、ジェオリーは最も有名な存在となった[2]。
1692年6月、ロンドンのフリート・ストリートにある宿屋「ブルー・ボアーズ・ヘッド・イン」(the Blue Boar’s Head Inn)でジェオリーは展示され、その際に作られたジョン・サヴェージによる宣伝広告のイラストが現存し著名なものとなっている[2]。この広告は現在では、セント・ジョンズ・カレッジ (オックスフォード大学)に収蔵されている[1]。

広告の中では「ジェオリーには美しい妹がおり、妹はマギンダナオ王国の王と恋をした」というロマンチックな物語が綴られたが、全くの作り話であるとダンピアは語っていた[4]。また、ジェオリーの刺青には特別な効力があり、蛇や毒を持つ生き物がジェオリーから逃げ出すとも広告に書かれたが、それも嘘であり、ダンピアはジェオリーが蛇やサソリ、ムカデなどを恐れるのを見てきた[4]。
この広告では「この見事な人物は30歳前後で、優雅であり、四肢のバランスも良く、極めて謙虚で礼儀正しく、身だしなみも整っている。しかし、彼の言葉は理解できず、英語も話せない」と記された[7]。
また別の広告では、以下のように記された。
彼は毎日、午前9時から正午12時まで、および午後3時から夕方6時か7時まで、公の場に姿を現します。ただし、貴族、紳士、淑女のいずれかの方が、ロンドン市内またはその周辺において、ご自宅やその他の都合の良い場所でこの高貴な人物にお会いになりたい場合は、事前にご連絡いただければ幸いです。[1]
また、ジェオリーはオックスフォードの東洋学者から言語研究の対象にされていた[1]。
死去と、刺青の入った皮膚の保存
1693年、ジェオリーはオックスフォードで天然痘により死亡した[2]。見世物として連行された先住民の多くは、免疫のなかったヨーロッパの一般的な病気にかかり早逝していた[2]。
埋葬地はセント・エッベ教会と考えられているが、墓標は現存せず、教区記録にも氏名は確認されていない[2]。
ジェオリーの刺青のある皮膚の一部は、外科医テオフィラス・ポインター(Theophilius Poynter)に剥がされ、オックスフォード大学解剖学教室に保存された[2]。その後、この皮膚は学者のジョン・ポインター(John Pointer)のコレクションの一つとなり、『解剖学的珍品』なるリストに記録された[2]。この皮膚標本は20世紀初頭までに失われたが、イングランドにおける刺青皮膚保存の最初期の記録例として、美術史・身体史・植民地主義研究などでたびたび言及されている[2]。ジョン・ポインターは皮膚の他、ジェオリーに関する有名な宣伝広告など様々なものを収集しており、当時から「扇情主義的である」と批判を受けていた[1]。それに対しジョン・ポインターは収集行為を「神の創造の縮図であり、私たちを自然の偉大なる創造主へと導き、無神論者を戒める役割を果たす」と反論した[1]。
評価
ジェオリーを扱った作品
イギリスでは長年に渡り、ジェオリーを題材とした版画やトランプが発売された[8]。
2019年の日本の漫画作品、トマトスープによる『ダンピアのおいしい冒険』にジェオリーが登場する。本作はダンピアを主人公とする物語で、『最新世界周航記』に沿い創作も盛り込みつつジェオリーが描かれる。史実のジェオリーが本当に「王子」であったかは不明だが、本作では「族長の息子」という設定になっており、口調に高貴さがある。作中でダンピアは、ジェオリーを故郷に返すことができず金銭苦のために売り払ったことを悔いる様子を見せる。
2023年に芸術作品『Giolo’s Lament(ジェオリーの嘆き)』が、フィリピン出身のピア・アバド(Pio Abad)により制作された[1]。11枚の大理石に、ジェオリーの刺青の入った腕を描いた作品となっている[1]。